2010'09.06 (Mon)
蓬莱山で会いましょう
さてこの度の記事をもって、このブログを閉じたいと思います。
もともと自らの興味ある事を電子化しようと思いはじめたブログでした。
大切なのは家庭であり仕事であり今を精一杯生きること。
生活すること。生命を活かすこと。
そう思います。
これから世界がどうなるかは、なってみないとわかりません。
この世界の行く末を見守りつつ、日々生きていきます。
また人を信頼して、自分にできない事はお任せして、自分にできる事は微力ながらお手伝いしていきます。
そしてイメージ、想像することはとても大切なことだと思います。
イメージひとつで、自分の世界が大きく変わります。
訪問してくださった方、ありがとうございました。
あなたのあなたにしか歩めない道に幸あらんことを。
慈魁
もともと自らの興味ある事を電子化しようと思いはじめたブログでした。
大切なのは家庭であり仕事であり今を精一杯生きること。
生活すること。生命を活かすこと。
そう思います。
これから世界がどうなるかは、なってみないとわかりません。
この世界の行く末を見守りつつ、日々生きていきます。
また人を信頼して、自分にできない事はお任せして、自分にできる事は微力ながらお手伝いしていきます。
そしてイメージ、想像することはとても大切なことだと思います。
イメージひとつで、自分の世界が大きく変わります。
訪問してくださった方、ありがとうございました。
あなたのあなたにしか歩めない道に幸あらんことを。
慈魁
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2010'09.05 (Sun)
2010'09.04 (Sat)
2010'08.28 (Sat)
荒野を子供達の笑顔溢れる菜の花畑に変えた人 ~アフガン・伊藤和也さんを悼む~
ブディアライ村。この何もない荒野を…

伊藤さんは赴任してから3年で菜の花畑に変えた!

(撮影・伊藤さん)
☆★☆★☆★☆
2008年8月26日、アフガニスタンで復興支援を続けていた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが4人組の武装グループに拉致された。
伊藤さんを慕った1000人を超える村人が捜索・追跡に加わり、追い詰められた犯人はパニックとなって伊藤さんに発砲、弾は左太ももの動脈を撃ち抜き伊藤さんは出血死した。
まだ31歳の若さだった。
当初は政治目的の誘拐とされ過激派の犯行声明も出たが、犯人のうち逮捕された2人は「結局は金目当てだった」と自白。
そして「殺さないと思っていたのでボスが撃った時は驚いた」とも。
犯行の動機はどうあれ、失われた生命は戻って来ない。
僕は自分より10歳も若い青年が、文化も言語も異なる遠い異国の地で、高い志を持って飢餓から人々を救おうとしていたことに強く心を動かされた。
(中略)
最後に、伊藤さんが現地で撮影した子ども達の写真を紹介したい。
赴任当初の伊藤さんは、意気込みが強すぎて日本の技術を“教えてあげる”という気持が前に出てしまい、それを感じ取った現地の人と距離が開き悩んでいた。
その状況を変えたのが「写真」だった。
伊藤さんはアフガンで暮らした4年8カ月の間に3000枚もの写真を撮り溜めていた。
元々は作物の生育状況を記録するために撮っていたので、初期に写っているのは農作物ばかり。
ところが、遠巻きに伊藤さんの作業を見ていた地元の子ども達が、好奇心からだんだん近づいてきた。
やがて「撮って!撮って!」の嵐。
かくして伊藤さんのカメラの中には子どもの写真が溢れることになる。
そして伊藤さんになつく子どもを通して、その親たちも心を開くようになっていった。
アフガンでは外国人が女性や子供を勝手に撮影すると問題になりやすい。
安心しきった笑顔が広がるこれらの写真は、いかに伊藤さんが現地の人たちに親しまれていたかを静かに物語っている。

「ブドウ盗ったど~」(撮影・伊藤さん)
「伊藤君は怒る前にカメラを向けてシャッターを切っている。
少女達もまた逃げもせず、半ば見せびらかすようなポーズをとっている。
ここに伊藤君の優しさと伊藤君と少女達の関係が鮮やかに映し出されている」(同僚の言葉)
これらの写真で子ども達が収穫を手伝っている土地は、どこも伊藤さんが赴任した頃は荒れ地だった。
彼の31年の人生は、日本にいる僕らが知らないところで、数え切れない優しい笑顔を生んでいた。
※伊藤さんはアフガン派遣の「志望動機」の中で、“現地の人たちと一緒に成長していきたい”と書いていた。
農業技術を“教えてやる”のでも、同情して“援助してあげる”のでもなく、相手と肩を並べて一緒に成長していく。
この誠実な姿勢が現地の人に伝わっていったんだと思う。
※アフガニスタンの外相は「アフガニスタンの人々を支援している最中に亡くなり、アフガン政府はこの犯行を強く批判する。
ご家族と日本国民に深い同情と弔意を表したい」と声明を出した。
ペシャワール会のサイト
アフガニスタンの全人口は2500万人。
このうち1200万人が干ばつで被害を受け、現在500万人が飢餓状態にあり、100万人が餓死寸前という深刻な状況だ。
アフガニスタンは1979年の旧ソ連の侵攻、90年代の軍閥の内戦、2001年からの米国等の空爆作戦で国土は荒廃。
そこへ追い打ちをかけるように大干ばつが襲っている。
日本のNGO「ペシャワール会」は四半世紀も前から現地で医療活動を続けてきた。
現地代表・中村哲医師(61歳)は、長年の運動を通して最も必要なものは“水”であり、もし水がなければ農業が続けられず、日々の糧を得ることができない、しかも綺麗な水がなければ伝染病の蔓延を防ぐこともできないと思い至る。
そして各地で井戸を掘ると共に大規模な用水路の建設を始めた。
既に16.5キロが完成し、約5000ヘクタールの農地を復興させ、ペシャワール会の用水路1本で数十万人が食べられるようになった。
こうした活動に共鳴した伊藤さんは03年から参加し、農業支援を担当した。
( 以上、文芸ジャンキーパラダイス 写真展レポより転載 )
お父様 伊藤正之様 ご挨拶
お母様 伊藤順子様 ご挨拶 ~息子伊藤和也の一周忌を前に~
伊藤和也さん ワーカー志望動機の文章

伊藤さんは赴任してから3年で菜の花畑に変えた!

(撮影・伊藤さん)
☆★☆★☆★☆
2008年8月26日、アフガニスタンで復興支援を続けていた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが4人組の武装グループに拉致された。
伊藤さんを慕った1000人を超える村人が捜索・追跡に加わり、追い詰められた犯人はパニックとなって伊藤さんに発砲、弾は左太ももの動脈を撃ち抜き伊藤さんは出血死した。
まだ31歳の若さだった。
当初は政治目的の誘拐とされ過激派の犯行声明も出たが、犯人のうち逮捕された2人は「結局は金目当てだった」と自白。
そして「殺さないと思っていたのでボスが撃った時は驚いた」とも。
犯行の動機はどうあれ、失われた生命は戻って来ない。
僕は自分より10歳も若い青年が、文化も言語も異なる遠い異国の地で、高い志を持って飢餓から人々を救おうとしていたことに強く心を動かされた。
(中略)
最後に、伊藤さんが現地で撮影した子ども達の写真を紹介したい。
赴任当初の伊藤さんは、意気込みが強すぎて日本の技術を“教えてあげる”という気持が前に出てしまい、それを感じ取った現地の人と距離が開き悩んでいた。
その状況を変えたのが「写真」だった。
伊藤さんはアフガンで暮らした4年8カ月の間に3000枚もの写真を撮り溜めていた。
元々は作物の生育状況を記録するために撮っていたので、初期に写っているのは農作物ばかり。
ところが、遠巻きに伊藤さんの作業を見ていた地元の子ども達が、好奇心からだんだん近づいてきた。
やがて「撮って!撮って!」の嵐。
かくして伊藤さんのカメラの中には子どもの写真が溢れることになる。
そして伊藤さんになつく子どもを通して、その親たちも心を開くようになっていった。
アフガンでは外国人が女性や子供を勝手に撮影すると問題になりやすい。
安心しきった笑顔が広がるこれらの写真は、いかに伊藤さんが現地の人たちに親しまれていたかを静かに物語っている。

「ブドウ盗ったど~」(撮影・伊藤さん)
「伊藤君は怒る前にカメラを向けてシャッターを切っている。
少女達もまた逃げもせず、半ば見せびらかすようなポーズをとっている。
ここに伊藤君の優しさと伊藤君と少女達の関係が鮮やかに映し出されている」(同僚の言葉)
これらの写真で子ども達が収穫を手伝っている土地は、どこも伊藤さんが赴任した頃は荒れ地だった。
彼の31年の人生は、日本にいる僕らが知らないところで、数え切れない優しい笑顔を生んでいた。
※伊藤さんはアフガン派遣の「志望動機」の中で、“現地の人たちと一緒に成長していきたい”と書いていた。
農業技術を“教えてやる”のでも、同情して“援助してあげる”のでもなく、相手と肩を並べて一緒に成長していく。
この誠実な姿勢が現地の人に伝わっていったんだと思う。
※アフガニスタンの外相は「アフガニスタンの人々を支援している最中に亡くなり、アフガン政府はこの犯行を強く批判する。
ご家族と日本国民に深い同情と弔意を表したい」と声明を出した。
ペシャワール会のサイト
アフガニスタンの全人口は2500万人。
このうち1200万人が干ばつで被害を受け、現在500万人が飢餓状態にあり、100万人が餓死寸前という深刻な状況だ。
アフガニスタンは1979年の旧ソ連の侵攻、90年代の軍閥の内戦、2001年からの米国等の空爆作戦で国土は荒廃。
そこへ追い打ちをかけるように大干ばつが襲っている。
日本のNGO「ペシャワール会」は四半世紀も前から現地で医療活動を続けてきた。
現地代表・中村哲医師(61歳)は、長年の運動を通して最も必要なものは“水”であり、もし水がなければ農業が続けられず、日々の糧を得ることができない、しかも綺麗な水がなければ伝染病の蔓延を防ぐこともできないと思い至る。
そして各地で井戸を掘ると共に大規模な用水路の建設を始めた。
既に16.5キロが完成し、約5000ヘクタールの農地を復興させ、ペシャワール会の用水路1本で数十万人が食べられるようになった。
こうした活動に共鳴した伊藤さんは03年から参加し、農業支援を担当した。
( 以上、文芸ジャンキーパラダイス 写真展レポより転載 )
お父様 伊藤正之様 ご挨拶
お母様 伊藤順子様 ご挨拶 ~息子伊藤和也の一周忌を前に~
伊藤和也さん ワーカー志望動機の文章
2010'08.28 (Sat)