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2010'08.24 (Tue)

世界中の母なる音 MA



ママ ハハ カカ。

母をあらわす母音は、「ア・ア」であることにふと気づいた。

この音は、生まれてきた赤ちゃんにとって、もっとも発音しやすい、やさしい音でもあることにも気づいた。

きっと太古、母が赤ちゃんを想い、よびやすい音で自らを表現したのであろう。


調べると、古今東西、やはり母をあらわす音はほぼ同じであった。


以下、野次馬集団さんのサイトBarbaroi!より転載である。


☆★☆★☆★☆


古今、どこの国でも幼児たちはお母さんを「ママ、マンマ、ママン、マミ」などと呼ぶ。

ママは外来語で、日本の昔の赤ちゃんはそうは呼ばなかったじゃないか、と思われるかもしれないが、赤ちゃんの最初に覚える言葉はご承知の通り「んまんま」であり、「まんま」である。
「まんま」は飯の意味であるが、嬰児にとっては、それは「おっぱい」すなわち母乳である。
そのことは『源氏物語』の「蓬生」や『枕草子』にも「乳母(まま)」として言及されている。
ラテン語でもマンマは「胸、乳房」を意味し、「哺乳類(英語のマンマル)」の語源となっている。

古代メソポタミアでは「お母さん」はシュメル語で「アマ」といい、アッカド語では「ウンム」といった。

印欧諸語において「母親」を意味する基本的な音節であり、しかも、マーそのものが「女神」の本源的な名称として崇拝された。

マ・マMa-Maは、ほとんどすべての言語において、「母親の乳房」を意味している。
「ロシアからサモア諸島にいたる世界の各地で、あるいはエジプト、バビロニア、インド、アメリカ大陸などの古代言語において、『母親Jを指す語は、mamaと言われているか、または、mamaに若干の変更を加えた異形である」。

古代アナトリアでは、「母親」はマー・ベローナであり、シュメールやアッカドの太女神はママ、マミ、マミトゥなどと呼ばれることが多かった。
中南米の女神はママ・コチャ、ママ・キラ、ママ・クナなどの名を持っていた。

極東では、母系親族の構成員を結合している母方の血の絆は、ママタmamata(「わたしのもの」)と呼ばれていた。

Maは、聖なる文字とみなされ、「生命の火種」(bindu、またはvindu)のような図形(ヤントラ)にあっては、「大いなるヨーニの中に」あると言われた。
それは、Maという文字が、同一母系親族内のすべての霊魂を1つに結びつけている霊妙な本質的要素(経血、すなわち、母親の血)を指していたからである。
したがって、マーMaやママタmamataは、同じ母親を持つ子孫たちは同じ血を共有しており、親族内部で互いに傷つけ合うことは我が身を傷つけるに等しいという考えを表わしていた。

このように、母系親族という観念は、平和を維持する実際的な手段だったのである。


古期印欧諸語にあっては、多くの場合マーは、「英知」、すなわち、世界の初めに四大を結合して多様な形態を創造した母なる力と定義されていた。

古代エジプトでは、この母性的な力に対して、マ・ヌ、マー、あるいは、「万物照覧の目を持った太女神」であると同時に、「真理の精霊」でもあるマートの名を与えていた。

原始時代におけるイランの月女神マーMah(または「月」の意のアル・マー)も、マーMaの異形だった。

アラブ人はマーMahをキス・マーQis-Mah(「運命」)と呼んだが、キス・マーはトルコに入って転靴し、キスメトになった。
マーMahは一連の救世主を生み、それぞれの救世主は「母なるマーMahによって、導かれた者または与えられた者」の意のマーディMahdiと呼ばれた。

ペルシア人はマーMahの名を、「死と再生」Mourdad-Ameretat という文字から作られた聖なる「言葉」とした。
また、表意文字MAは、女神の乳房からの乳を飲むことによって得られた不死の状態を意味すると言われた。

このことは、マ・マの本来の意味が、「母親の乳房」であったことを思い出させてくれる。

ヘブライ語の場合、聖なる文字MAは、「液体」と「誕生」の意のアルファベットの2文字を結合したメム-アレフだった。
この聖なるしるし(メム-アレフ)には霊験あらたかな護身の力があるとされ、紀元前9世紀の初めからユダヤ人の護符に記されていた。
この風習は、ペルシア人またはエジプト人の風習をまねたものと考えられる。

エジプト人の母なるイシスは、「マーの護符」、すなわち、彼女自身の滋味豊かな液体(乳、水、経血など)の泉を表わす壷を身に着けていた。
マーはまた、「原初の深淵」マ・ヌとして、3つの大なべをシンボルにしていた。

今日においても、「豊饒の水」を擬人化したタントラの女神は、ママキと呼ばれている

エジプトの神話では、生命を養ってくれる乳房マ・マMa-Maを逆にして、冥界の「貪り食う女」アム・アムAm-Am(「霊魂を食らう者」)が生み出された。

古代の宗教における循環方式に従って、与える者が奪う者に変容させられたのだった。

コマナの太女神マーMaは、「トロス山脈の谷間やイリス川の両岸に住んでいた神殿奴隷たち全員から崇められていた。
キュベレーと同じくマーも古代アナトリアの女神で、豊饒な自然を擬人化したものだった。
マーはローマに移されて、戦闘の女神ベローナと融合した。
ベローナは、子供たちを守るときの母親の戦意に匹敵するあの不屈な闘争心を擬人化したものだった。

現代では、音節Maが持っていた神聖な意味を認識しているのは、ヴードゥー教など、半ば魔術的な無名の宗派に限られている。
ヴードゥー教の場合、巫女は女神の霊の体現者で、mamaloiあるいはmamboと呼ばれている。
しかしながら、マーMaが世界各地で「母親」の同義語であるという点に関しては、現在も変わっていない。


(転載終了)


元記事
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/ma.html
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05:16  |  歴史・考古学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.08 (Sun)

十字がいっぱい

十字が気になってしらべてみた。

あるわあるわ、いろんな十字。←wikiの画像集みてください

なにやら餅まででてきて、もうおなかいっぱいです 苦笑



・十字は最も古代から存在する人類のシンボルの1つであり、多くの地域で使用されている。

太陽のシンボルや、キリスト教の十字架南十字星の他にも、世界の四大要素や方位、あるいは縦線を神性、水平線を世界とした統一概念の象徴などとして使われている。

現代でも多数の国旗、赤十字社などの標章や紋章、家紋などにも使用されている。

なお中国の、晋の時代に十字をつけた餅を食して厄除けとする風習が、日本に伝えられると鎌倉時代に流行し、その餅のことを「十字」といったともされる。
08:06  |  歴史・考古学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.08 (Sun)

カエルの化石と豊穣の女神

ちょっと気になったニュース。


兵庫県丹波市の白亜紀前期の地層・篠山層群下部層(1億1000万~1億年前)から、カエルの全身骨格化石が見つかった、と県立人と自然の博物館(三田市)が5日、発表した。

 同時代の全身骨格化石は全国初で、世界で13例目。四肢を地面につき、生きていた時の格好のまま化石になっており、池田忠広研究員(31)は「いつ頃から強い跳躍力を持つようになったかなど、カエルの進化過程や当時の生態を探るうえで貴重な資料」としている。

 化石は全長約3センチ。草食恐竜・丹波竜の発掘現場で切り出した岩盤に含まれていた。

高く跳ぶために後ろ脚の骨2本がくっついた頸腓骨(けいひこつ)や、肋骨(ろっこつ)などの特徴から、同博物館は「ムカシガエル亜目」に属する原始的なカエルと判断した。

 7日から9月5日まで同博物館で公開。10月の米国古脊椎(せきつい)動物学会で発表する。

(2010年8月5日23時09分 読売新聞)


これが本当なら、カエルも1億年前から地球にいる種族なんだね~。

1億年前に何か気候変動でもあったのかな。冬眠中に。

カエルにはいつも神秘さを感じる。

と思って調べたら、なんと豊穣の女神につながった。

以下、カエルにまつわるエトセトラ。


【雨鳴き rain call,shower call】
低気圧が近づいたり、雨が降っているときに発する鳴き声。アマガエルが有名。

・貝原益軒の『大和本草』によれば、カエルの名は他の土地に移しても必ず元の所に帰るという性質に由来すると記述されている。

・中国では道教の青蛙神信仰の影響から後ろ脚が一つのガマガエルが縁起物として飾られている場合がある。

・南米のいくつかの地域では、カエルは幸運(特に金運)を招くものと考えられている。

このため、カエルをペットのように飼ったり、カエルの置物を家に飾ったりすることがある。

また、口を開けたカエルの置物に向かってコインを投げ、うまく口の中に入れることを競う遊びも行なわれている。


・西洋においてもカエルは良く親しまれている。

ノーベル賞の授賞式では参加した学生と受賞者がカエルのようにジャンプする「蛙跳び」の儀式があり、これは受賞者のさらなる飛躍を願ってのことである由。

受賞者の参加は自由意思によるが、参加した受賞者には「カエル勲章」が授けられる。


・ヘケト(Heget,Heket,Heqet またはヘカト(Heqat))は、エジプト神話における水の女神。

蛙そのものか、蛙の顔をした女性の姿をしており、多産と復活を司るとされる。

元々古代エジプトにおいて蛙はその姿から胎児の象徴であり、また多くの卵を産むことから多産の象徴でもあった。
(何しろオタマジャクシを描いた象形文字が大きな数である「十万」を意味した程である)。

クヌム神の妻の一人で、彼により創造された人間に命を吹き込む役目を持つと言われる。

後の神話ではイシスのホルス出産を助けたり、ホルスが毒蛇に咬まれた時その治療を行ったとされている。

また、後に小アジア経由で古代ギリシアにも伝わり月と冥界の女神ヘカテーとして信仰されている。

ヘカテーは魔術を司る魔女の守護神とされており、魔女と蛙の関係が深いのはこのためである。




カエルはなんと古代エジプトでは多産・豊穣の水の女神ヘケトとして信仰されていたんですね~。

古代ギリシアでは、月と冥界の女神ヘカテーとして。

あと気になったのは、

・母神イシスの膝に乗った幼児(ホルサイセ・ハルポクラテス)として表現されるものもあり、これはキリスト教における聖母子像の原型とも考えられている。

・イシスは永遠の処女であり、処女のまま神を身ごもったとされ、「天上の聖母」「星の母」「海の母」などさまざまな二つ名を持った。

・イシスがホルスに授乳する様子などが、イエスの母・マリアへの信仰の元になったといわれる。

・女神ヘカテーは、古代ギリシア後代には、3つの体を持ち、松明を持って地獄の猛犬を連れ、夜の十字路や三叉路などなどに現われる妖怪のような存在と見なされるようになった。

古代ギリシアでは、十字路や三叉路は二つの道が交わる場所、即ちあの世とこの世が交わる場所と考えられた。



「十字」や「三叉」って、あの世とこの世が交わる場所という象徴なのでしょうか。


カエルからずいぶんと脱線しましたが、とにかく豊穣の女神の象徴として、カエルは古代から信仰されてきた、ということでまとめておきます。
07:58  |  歴史・考古学  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'06.23 (Wed)

男鹿と恩荷(おんが)

男鹿の地名は、日本書紀によると安倍比羅夫(あべのひらふ)の蝦夷(えみし)征伐(658年)のとき、齶田(あぎた)の酋長恩荷(おんが)がおり、この恩荷が転じたものといわれています。本地域は源頼朝の奥州征伐後、小鹿嶋(おがしま)と称し、橘氏の支配に入り、その後、津軽に本拠を持つ安東氏の影響下にあったものと思われ、慶長7年(1602年)の安東実季(あんどうさねすえ)の常陸国への転封により佐竹藩政下となり明治維新まで続きました。

http://www2.city.oga.akita.jp/contents/c.html?seq=131
12:59  |  歴史・考古学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'06.23 (Wed)

男鹿は蝦夷の首領「恩荷」が由来か

男鹿は日本海と八郎潟に挟まれた半島である。殊に八郎潟を抜きにしてはは男鹿は語れないのです。八郎潟は別名八龍湖・大方・琴潮(うみ)等と呼ばれ東西凡そ12km・南北約27kmの日本第2の湖であった。そしてこの湖畔の大地で二人の魅力的男性が歴史を駆け抜けたのです。日本海の王者提督阿倍比羅夫と対峙した恩荷(オガ)と、陸の王者征夷大将軍源頼朝に挑んだ陸奥最後の風雲児大河次郎兼任(カネトウ)である。恩荷は645年(斉明4年)兼任は文治5年(1189年)ともに陸奥古代の夜明けと終焉を飾った二人である。恩荷の何と言っても魅力的なのが日本書紀斉明期の記述でしょう。『4年夏(658年)4月に、阿倍比羅夫船師(ふないくさ)一百八十艘率いて蝦夷を討つ。鰐田(あぎた)・渟代(ぬしろ)二郡の蝦夷、望(おせ)り怖(お)ぢて降(したが)はむと乞ふ。軍を勒(ととの)へて、船を齶田浦に陳(つら)ぬ。齶田の蝦夷恩荷、進みて誓ひて曰さく「官軍の為の故に弓矢を持たず、但し奴等、性肉を食うふが故に持たり。若し官軍の為にとして、弓矢を儲けたらば齶田の神知りなむ。清き白なる心を将(も)ちて朝(みかど)に仕官(つこうまつ)らむとまをす」仍りて恩荷に授くるに小乙上を以てして渟代・津軽二郡の郡領(こおりのみやつこ)に定む。遂に有間浜に、渡嶋の蝦夷等を召し聚へて、大きに饗(あへ)たまひて帰す』とあるのです。つまり『弓矢は日常肉食の狩猟の為で秋田の神に誓って戦の為ではない。清純な気持ちで朝廷に仕えるものである』と云うのだ。比羅夫も紳士的だったのだろうが蝦夷も決して好戦的民族ではない証である。凡そ1350年前の秋田、男鹿、能代の蝦夷が始めて異民族大和民族と出合った初々しい描写に感動この上ないのです。小鹿島名勝誌の中に「この恩荷は今日男鹿の地の人なるべく、地名によりての人名か、人名によりての地名か。そは分明ならざれども、この恩荷と同紀5年正月の条に見へし膽鹿嶋とあるものは、今日の男鹿同名異なるべし。これ男鹿の歴に見へし初めなりとす」とある。つまり秋田の浦に現れた蝦夷の首領恩荷こそ男鹿の名の謂れなのです。蝦夷の名が綿綿と現代の都市の名となって生き続けているのは何と感動的とは思いませんか。所で国語学者の仲には「恩荷は(オカ・オガ)ではなく(オニ)と呼ばれていたであろう」と推察している。オニは鬼で往時は本来「大いなる人・畏敬すべき人・権威ある者」の意味であり現代の悪人の代名詞とは丸で逆であった事は留意すべきだ

http://www.t-aterui.jp/akita/a-oga.html
12:57  |  歴史・考古学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top
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