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2010'08.28 (Sat)

荒野を子供達の笑顔溢れる菜の花畑に変えた人 ~アフガン・伊藤和也さんを悼む~

ブディアライ村。この何もない荒野を…
アフガン伊藤さん1

伊藤さんは赴任してから3年で菜の花畑に変えた!

アフガン伊藤さん2

(撮影・伊藤さん)

☆★☆★☆★☆

2008年8月26日、アフガニスタンで復興支援を続けていた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが4人組の武装グループに拉致された。

伊藤さんを慕った1000人を超える村人が捜索・追跡に加わり、追い詰められた犯人はパニックとなって伊藤さんに発砲、弾は左太ももの動脈を撃ち抜き伊藤さんは出血死した。

まだ31歳の若さだった。

当初は政治目的の誘拐とされ過激派の犯行声明も出たが、犯人のうち逮捕された2人は「結局は金目当てだった」と自白。

そして「殺さないと思っていたのでボスが撃った時は驚いた」とも。

犯行の動機はどうあれ、失われた生命は戻って来ない。

僕は自分より10歳も若い青年が、文化も言語も異なる遠い異国の地で、高い志を持って飢餓から人々を救おうとしていたことに強く心を動かされた。

(中略)

最後に、伊藤さんが現地で撮影した子ども達の写真を紹介したい。

赴任当初の伊藤さんは、意気込みが強すぎて日本の技術を“教えてあげる”という気持が前に出てしまい、それを感じ取った現地の人と距離が開き悩んでいた。

その状況を変えたのが「写真」だった。

伊藤さんはアフガンで暮らした4年8カ月の間に3000枚もの写真を撮り溜めていた。

元々は作物の生育状況を記録するために撮っていたので、初期に写っているのは農作物ばかり。

ところが、遠巻きに伊藤さんの作業を見ていた地元の子ども達が、好奇心からだんだん近づいてきた。

やがて「撮って!撮って!」の嵐。

かくして伊藤さんのカメラの中には子どもの写真が溢れることになる。

そして伊藤さんになつく子どもを通して、その親たちも心を開くようになっていった。

アフガンでは外国人が女性や子供を勝手に撮影すると問題になりやすい。

安心しきった笑顔が広がるこれらの写真は、いかに伊藤さんが現地の人たちに親しまれていたかを静かに物語っている。


伊藤さん撮影
「ブドウ盗ったど~」(撮影・伊藤さん)
「伊藤君は怒る前にカメラを向けてシャッターを切っている。
少女達もまた逃げもせず、半ば見せびらかすようなポーズをとっている。
ここに伊藤君の優しさと伊藤君と少女達の関係が鮮やかに映し出されている」(同僚の言葉)



これらの写真で子ども達が収穫を手伝っている土地は、どこも伊藤さんが赴任した頃は荒れ地だった。

彼の31年の人生は、日本にいる僕らが知らないところで、数え切れない優しい笑顔を生んでいた。


※伊藤さんはアフガン派遣の「志望動機」の中で、“現地の人たちと一緒に成長していきたい”と書いていた。

農業技術を“教えてやる”のでも、同情して“援助してあげる”のでもなく、相手と肩を並べて一緒に成長していく。

この誠実な姿勢が現地の人に伝わっていったんだと思う。

※アフガニスタンの外相は「アフガニスタンの人々を支援している最中に亡くなり、アフガン政府はこの犯行を強く批判する。

ご家族と日本国民に深い同情と弔意を表したい」と声明を出した。

ペシャワール会のサイト

アフガニスタンの全人口は2500万人。

このうち1200万人が干ばつで被害を受け、現在500万人が飢餓状態にあり、100万人が餓死寸前という深刻な状況だ。

アフガニスタンは1979年の旧ソ連の侵攻、90年代の軍閥の内戦、2001年からの米国等の空爆作戦で国土は荒廃。

そこへ追い打ちをかけるように大干ばつが襲っている。

日本のNGO「ペシャワール会」は四半世紀も前から現地で医療活動を続けてきた。

現地代表・中村哲医師(61歳)は、長年の運動を通して最も必要なものは“水”であり、もし水がなければ農業が続けられず、日々の糧を得ることができない、しかも綺麗な水がなければ伝染病の蔓延を防ぐこともできないと思い至る。

そして各地で井戸を掘ると共に大規模な用水路の建設を始めた。

既に16.5キロが完成し、約5000ヘクタールの農地を復興させ、ペシャワール会の用水路1本で数十万人が食べられるようになった。

こうした活動に共鳴した伊藤さんは03年から参加し、農業支援を担当した。

( 以上、文芸ジャンキーパラダイス 写真展レポより転載 )


お父様 伊藤正之様 ご挨拶

お母様 伊藤順子様 ご挨拶 ~息子伊藤和也の一周忌を前に~

伊藤和也さん ワーカー志望動機の文章
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23:26  |  和の世界  |  TB(0)  |  CM(1)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.28 (Sat)

Escape / ジミーサムP







作詞作曲:ジミーサムP




-この世に宇宙の一部じゃないものなんてない-

幸村誠「プラネテス」より
22:15  |  音楽  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.25 (Wed)

告別 / 宮沢賢治



おまへのバスの三連音が

どんなぐあいに鳴ってゐたかを

おそらくおまへはわかってゐまい

その純朴さ希みに充ちたたのしさは

ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた

もしもおまへがそれらの音の特性や

立派な無数の順列を

はっきり知って自由にいつでも使へるならば

おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう

泰西著名の楽人たちが

幼齢 弦や鍵器をとって

すでに一家をなしたがやうに

おまへはそのころ

この国にある皮革の鼓器と

竹でつくった管(くわん)とをとった

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで

おまへの素質と力をもってゐるものは

町と村との一万人のなかになら

おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも

五年のあひだにそれを大低無くすのだ

生活のためにけづられたり

自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは

ひとにとゞまるものでない

ひとさへひとにとゞまらぬ

云はなかったが、

おれは四月はもう学校に居ないのだ

恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり

きれいな音の正しい調子とその明るさを失って

ふたたび回復できないならば

おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは

すこしぐらゐの仕事ができて

そいつに腰をかけてるやうな

そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

もしもおまへが

よくきいてくれ

ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき

おまへに無数の影と光の像があらはれる

おまへはそれを音にするのだ

みんなが町で暮したり

一日あそんでゐるときに

おまへはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の

それらを噛んで歌ふのだ

もしも楽器がなかったら

いゝかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり

そらいっぱいの

光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ








(賢治が教師退職を前に、一人の教え子に贈った言葉)
12:33  |  宮沢賢治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

稲作挿話 / 宮沢賢治



あすこの田はねえ

あの種類では窒素があんまり多過ぎるから

もうきっぱりと灌水(みづ)を切ってね

三番除草はしないんだ


……一しんに畔を走って来て

  青田のなかに汗拭くその子……


燐酸がまだ残ってゐない?

みんな使った?

それではもしもこの天候が

これから五日続いたら

あの枝垂れ葉をねえ

斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ

むしってとってしまふんだ


……せわしくうなづき汗拭くその子

  冬講習に来たときは

  一年はたらいたあととは云へ

  まだかゞやかな苹果(りんご)のわらひをもってゐた

  いまはもう日と汗に焼け

  幾夜の不眠にやつれてゐる……


それからいゝかい

今月末にあの稲が

君の胸より延びたらねえ

ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ

葉尖(はさき)を刈ってしまふんだ


……汗だけでない

  泪も拭いてゐるんだな……


君が自分でかんがへた

あの田もすっかり見て来たよ

陸羽一三二号のはうね

あれはずゐぶん上手に行った

肥えも少しもむらがないし

いかにも強く育ってゐる

硫安だってきみが自分で播いたらう

みんながいろいろ云ふだらうが

あっちは少しも心配ない

反当三石二斗なら

もうきまったと云っていゝ

しっかりやるんだよ

これからの本統の勉強はねえ

テニスをしながら商売の先生から

義理で教はることでないんだ

きみのやうにさ

吹雪やわづかの仕事のひまで

泣きながら

からだに刻んで行く勉強が

まもなくぐんぐん強い芽を噴いて

どこまでのびるかわからない

それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ

ではさようなら


……雲からも風からも

  透明な力が

  そのこどもに

  うつれ……






けなげな少年を励ましながら、心の内ではその子を菩薩のように見守る賢治のまなざしが温かい。
20:09  |  宮沢賢治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

散歩、日傘をさす女性 / Claude Monet



monet











モデルの母子はカミーユとジャン。

一瞬の中の永遠.

モネは優しい眼差しで愛する家族を描いた.

家族の絆、愛を感じる.

今、一緒にいる、かけがえのない家族.

この広い宇宙の中で、時空を共にすごしている奇跡.

私にはそのように想える.
06:05  |  芸術  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

あなたに Ⅰ

あなたに Ⅰ


出来ないからって

いじけていてはダメ

私だって 九十六年間

出来なかった事は

山ほどある

父母への孝行

子供の教育

数々の習いごと


でも 努力はしたのよ

精いっぱい

ねえ それが

大事じゃないかしら


さあ 立ち上がって

何かをつかむのよ

悔いを

残さないために




(柴田トヨさんの詩集  『くじけないで』 より)
05:40  |  柴田トヨ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

思い出 Ⅰ

思い出 Ⅰ


子どもが

授かったことを

告げた時

あなたは

「ほんとうか 嬉しい

俺はこれから

真面目になって

働くからな」

そう 答えてくれた


肩を並べて

桜並木の下を

帰ったあの日

私の 一番

幸福だった日




(柴田トヨさんの詩集  『くじけないで』 より)
05:36  |  柴田トヨ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

さびしくなったら

さびしくなったら


さびしくなった時

戸の隙間から

入る陽射しを

手にすくって

何度も顔に

あててみるの


そのぬくもりは

母のぬくもり


おっかさん

がんばるからね

呟きながら

私は立ちあがる



(もうすぐ百歳の詩人、柴田トヨさんの詩集  『くじけないで』 より)
05:32  |  柴田トヨ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

くじけないで


くじけないで

ねえ 不幸だなんて

溜息をつかないで


陽射しやそよ風は

えこひいきしない


夢は

平等に見られるのよ


私 辛いことが

あったけれど

生きていてよかった


あなたもくじけずに



(もうすぐ百歳の詩人、柴田トヨさんの詩集  『くじけないで』 より)
05:29  |  柴田トヨ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.24 (Tue)

世界中の母なる音 MA



ママ ハハ カカ。

母をあらわす母音は、「ア・ア」であることにふと気づいた。

この音は、生まれてきた赤ちゃんにとって、もっとも発音しやすい、やさしい音でもあることにも気づいた。

きっと太古、母が赤ちゃんを想い、よびやすい音で自らを表現したのであろう。


調べると、古今東西、やはり母をあらわす音はほぼ同じであった。


以下、野次馬集団さんのサイトBarbaroi!より転載である。


☆★☆★☆★☆


古今、どこの国でも幼児たちはお母さんを「ママ、マンマ、ママン、マミ」などと呼ぶ。

ママは外来語で、日本の昔の赤ちゃんはそうは呼ばなかったじゃないか、と思われるかもしれないが、赤ちゃんの最初に覚える言葉はご承知の通り「んまんま」であり、「まんま」である。
「まんま」は飯の意味であるが、嬰児にとっては、それは「おっぱい」すなわち母乳である。
そのことは『源氏物語』の「蓬生」や『枕草子』にも「乳母(まま)」として言及されている。
ラテン語でもマンマは「胸、乳房」を意味し、「哺乳類(英語のマンマル)」の語源となっている。

古代メソポタミアでは「お母さん」はシュメル語で「アマ」といい、アッカド語では「ウンム」といった。

印欧諸語において「母親」を意味する基本的な音節であり、しかも、マーそのものが「女神」の本源的な名称として崇拝された。

マ・マMa-Maは、ほとんどすべての言語において、「母親の乳房」を意味している。
「ロシアからサモア諸島にいたる世界の各地で、あるいはエジプト、バビロニア、インド、アメリカ大陸などの古代言語において、『母親Jを指す語は、mamaと言われているか、または、mamaに若干の変更を加えた異形である」。

古代アナトリアでは、「母親」はマー・ベローナであり、シュメールやアッカドの太女神はママ、マミ、マミトゥなどと呼ばれることが多かった。
中南米の女神はママ・コチャ、ママ・キラ、ママ・クナなどの名を持っていた。

極東では、母系親族の構成員を結合している母方の血の絆は、ママタmamata(「わたしのもの」)と呼ばれていた。

Maは、聖なる文字とみなされ、「生命の火種」(bindu、またはvindu)のような図形(ヤントラ)にあっては、「大いなるヨーニの中に」あると言われた。
それは、Maという文字が、同一母系親族内のすべての霊魂を1つに結びつけている霊妙な本質的要素(経血、すなわち、母親の血)を指していたからである。
したがって、マーMaやママタmamataは、同じ母親を持つ子孫たちは同じ血を共有しており、親族内部で互いに傷つけ合うことは我が身を傷つけるに等しいという考えを表わしていた。

このように、母系親族という観念は、平和を維持する実際的な手段だったのである。


古期印欧諸語にあっては、多くの場合マーは、「英知」、すなわち、世界の初めに四大を結合して多様な形態を創造した母なる力と定義されていた。

古代エジプトでは、この母性的な力に対して、マ・ヌ、マー、あるいは、「万物照覧の目を持った太女神」であると同時に、「真理の精霊」でもあるマートの名を与えていた。

原始時代におけるイランの月女神マーMah(または「月」の意のアル・マー)も、マーMaの異形だった。

アラブ人はマーMahをキス・マーQis-Mah(「運命」)と呼んだが、キス・マーはトルコに入って転靴し、キスメトになった。
マーMahは一連の救世主を生み、それぞれの救世主は「母なるマーMahによって、導かれた者または与えられた者」の意のマーディMahdiと呼ばれた。

ペルシア人はマーMahの名を、「死と再生」Mourdad-Ameretat という文字から作られた聖なる「言葉」とした。
また、表意文字MAは、女神の乳房からの乳を飲むことによって得られた不死の状態を意味すると言われた。

このことは、マ・マの本来の意味が、「母親の乳房」であったことを思い出させてくれる。

ヘブライ語の場合、聖なる文字MAは、「液体」と「誕生」の意のアルファベットの2文字を結合したメム-アレフだった。
この聖なるしるし(メム-アレフ)には霊験あらたかな護身の力があるとされ、紀元前9世紀の初めからユダヤ人の護符に記されていた。
この風習は、ペルシア人またはエジプト人の風習をまねたものと考えられる。

エジプト人の母なるイシスは、「マーの護符」、すなわち、彼女自身の滋味豊かな液体(乳、水、経血など)の泉を表わす壷を身に着けていた。
マーはまた、「原初の深淵」マ・ヌとして、3つの大なべをシンボルにしていた。

今日においても、「豊饒の水」を擬人化したタントラの女神は、ママキと呼ばれている

エジプトの神話では、生命を養ってくれる乳房マ・マMa-Maを逆にして、冥界の「貪り食う女」アム・アムAm-Am(「霊魂を食らう者」)が生み出された。

古代の宗教における循環方式に従って、与える者が奪う者に変容させられたのだった。

コマナの太女神マーMaは、「トロス山脈の谷間やイリス川の両岸に住んでいた神殿奴隷たち全員から崇められていた。
キュベレーと同じくマーも古代アナトリアの女神で、豊饒な自然を擬人化したものだった。
マーはローマに移されて、戦闘の女神ベローナと融合した。
ベローナは、子供たちを守るときの母親の戦意に匹敵するあの不屈な闘争心を擬人化したものだった。

現代では、音節Maが持っていた神聖な意味を認識しているのは、ヴードゥー教など、半ば魔術的な無名の宗派に限られている。
ヴードゥー教の場合、巫女は女神の霊の体現者で、mamaloiあるいはmamboと呼ばれている。
しかしながら、マーMaが世界各地で「母親」の同義語であるという点に関しては、現在も変わっていない。


(転載終了)


元記事
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/ma.html
05:16  |  歴史・考古学  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.23 (Mon)

自然音 ~夜の森の音~





ここは深い森の中.

深呼吸してみよう.
06:58  |  音楽  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.22 (Sun)

自然音 ~OCEAN WONDERS~





ここは海です.


地球のリズムを感じよう.

09:54  |  音楽  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.21 (Sat)

Mapu Mau Ke 'Ala




He 'ala onaona Kupaoa
心地よく強い香り
e moani mai nei
そよ風に運ばれてくる
E kono mai ana ia u,e!
私を招き寄せるように


'Auhea oe e ku'u nani,
あなたはどこにいるの 美しい人よ
ku'u pua e milika'a ai
私の大事に可愛がっている花よ
Ka pua 'awapuhi 'auli'i
か弱いジンジャーの花


I Kahea mai ia'u,
私に呼びかけてくる
e walea me 'oe,i lalia
そこであなたと楽しむため
Pulupe i ka ua,
雨に濡れながら
le 'ale'a kaua i ka nahele,e!
草の中で二人は喜び楽しむ


Ua ho'i akula ka helena
姿は消えてしまった
o ka pua ho'oheno
愛する花の
Mapu mau mai ke 'ala anuhea
清々しく心地よい香りが今も漂っている

21:34  |  HULA  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.16 (Mon)

今後どうすべきかを考える


今の世の中は「問題である」と言い続ける方向に動いています。

その事象が対処のできない問題だった場合、その対処できない問題に対して、

「問題である」とずっといい続けるのはどうなのでしょうか?

それよりも「もう、世の中ってこういうものだから、仕方ないよね」と諦めて、

今後どうすべきかを考えるほうが賢い選択ではないのでしょうか?



(有限会社未来検索ブラジル取締役・株式会社ニワンゴ取締役 西村博之)
21:21  |  和の世界  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.16 (Mon)

粗に学ぶ


「そ」という文字には

祖先の「祖」

簡素の「素」

楚楚の「楚」

粗末の「粗」

があります。


人は何時か知らぬ間に、自分が活かされていることに気づかず

カルマ、くせ、習慣を引き出して生きています。

生命という本質(実在)からの行為を忘れて

先祖が

常に守護していることへの感謝を忘れている。

更に心の認識を高め

善い事・悪い事についても同様、学びの為であることを知り謙虚に学ぶことは限りなく続くことを知るがよし。

簡素に

一時的に宇宙に出現した物質

人間の身体、そして自分の子供

企業・会社・仕事

土地・建物・家屋

という財産はあずかり物であり

永遠に自分のものと思ってはいけない。

あずかりものは大切にあずかり、時期が訪れたとき

すみやかに世の人の為に、

お返しをする。

なるべく飾りものをはずして

身軽く質素がよい


美しさは、シンプルが良い

楚楚とし

身軽いほど心は自由でとらわれがなく、高い意識に到る

粗を知り

粗に学ぶ


健康な心身の為にも

粗食し

他の人に対し

軽はずみの言葉

荒く下品な振る舞い

大ざっぱな感性

おろそかな扱いを

さけるよう心掛ける。

粗末な心を

人の振りみて気づくもよし

又、自分の心の奥深く思考し

見直す時間の中で

おごりの人生を描いていないかを振り返り


責任と義務を持ち

素直に理屈を云わず

取り入れ実行し

各々が善行することにより

意識を高める為に意志を

まっとうする道がある

人生を粗描きにせぬよう

粗に学ぶ。


1994年12月16日  

黒沢吾耶
21:03  |  黒沢吾耶  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.16 (Mon)

家族の在り方


人は家族の為と思い考えて行って来たことに自己の錯覚があることを知るがよし

1. 家庭は生活を共にするところであり、個々の生命を活かすことを共に行うところ

1. 家族は親・兄弟を中心に1つ同じ家に住むことである

   しかし、人は家族の者に対し過大な期待を持ち、強制的な願望をかける。
   
   本来人は自分の誕生の使命と目的の中に自分の生命を活かしている1つの生命であり、

   家庭の中で生命の向上の為に気づきながら自己を学んでいる。

1. 家族に対する能力以上の願望は望む者の我欲である

1. 家庭はお互いの能力を尊重し人に能力を養う為に共に力を出し合うように努めるところ、

   又、自分自身を学ぶことは人を頼らず、まず調和を自分でとることのできるよう学ぶことにある

1. 家族は「縁をつくる」ということの中で生命の修行を共にするところ
  
   肉体の修行が主ではない。

   社会に出る前に自己を見つめて自己を学ぶ。

   人間の養成は家族の生活がすべての基礎となる。

   家族の間では一番安心して落ち着ける自由な場所であることから勘違いを致し、自由に我が儘を云うところになっている。

   人の育成に大切な場、同じ家に住み生命を活かすことの条件が薄らいでいる。

家族崩壊、親子・夫婦の間が良くなくなり、家族の縁が切れ離れる。

又、家庭内暴力は、親の期待から子の尊重を無視したことから子が自己の学びの途中に心に無理があったこと等から生じるものであり、その波動はイジメにも発展する。

これは輪廻している。

1. 親が自己改革をする

一人一人、相違した誕生の目的の中に個々の生命は活かし方が異なることを知るがよし。

宇宙意識の教える自己改革意識を高める為に、まずはじめに家族の在り方に学ぶ。



1995年12月15日 黒沢吾耶
20:23  |  黒沢吾耶  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.16 (Mon)

「あるものを活かす」


「ないもの」を求めず

「あるもの」を活かす


「どれだけ生きるか」ではなく

「どう生きるか」がたいせつ


「我」を捨てるのでなく、

「我」のあり方がたいせつ


(元プラス・テク株式会社常務取締役工学博士 清水明彦)
20:05  |  和の世界  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.16 (Mon)

クロップサークル・ミステリーサークル

地球上の不思議な現象として、クロップサークルまたはミステリーサークルがある。

幾何学的模様が、一夜のうちに耕作地に描かれるのだ。

いったい、なんなのだろう。


地球人の実験か。いたずらか。アートか。

地球人ではない存在によるものか。

自然現象か。

そのすべてか。

何らかのメッセージか。

さっぱりわからない。

1つ1つは、製作者が名乗り出ない限り憶測するしかないから、断定はできない。

もちろん中には、製作者が名乗り出ているものもある。

しかし、すごい現象だ。

作物をいためずに作成されたものが多いとのことだけど、実に手が込んでいる。


クロップサークルについて考察されている方の、興味深い話をみつけた。

人の体から蝶の羽根が生えているクロップサークルについての考察だ。

すこし引用させていただく。

「蝶は美しいものと思っている人が多いようだが、悪者のホシ=ベガが地球に送りこんだもので悪の象徴なのだそうだ

昆虫を送り込んだベガが悪者と言うことがよくわかります。

悪者とは大きな丸(大きな星)が順番に小さな丸(小さな星)と、しっかりとつながっているもの。

丸が離れているのは改心したもの。

極小さな丸は名のない星たち。

蝶は小さい時は青虫で人間の食べ物を食い荒らし、派手な形になって蝶になっても人間のためには働かない害虫。
すなわち外形ばかりきらびやかに飾り、他人の働きに依存してまともな仕事をしない人間も当てはまるということ。 」

(o333oさんのブログ 「知ってほしい本当のこと」より引用)


なるほど。

蝶は害虫である。

そういう見方もありますか。


参考サイト:地球の謎解き/ソラからの伝言 内 クロップサークル(穀物模様)
02:15  |  想うこと  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.15 (Sun)

vision 「生きること」

「生きること」


....旅をしてきた.





もうずっと...随分と長い間...





色々な国に暮らす沢山の人々...





この星のさまざまな場所を旅して、


様々な暮らしぶりをかいま見るごとに、感じ続けていることがある.





文明が造り上げたてきたもの...


そして、今も 未だ とめどなく 限りなく  創り続けていル.





最初、私たちはいったい何を求めていたのか、


すっかり 忘れてしまっているもの.





人類にとって、本当に大切なものって、なんだろう...











一番ひどい状態の ルワンダ という国に  ボランティアに行った友人がいる.


彼が、そこから戻って はじめたことがあった.


食料を送るより、ドラムを贈るということ.





生きる喜びを  奪われたとき、 人々は力を失う.


彼は、そこで共に暮らす間、 強く感じた.





彼らの亡くしたものは、歌い、踊る、喜びの力だった.











アメリカンインディアンのリザーベーションに暮らした時にも、


同じことを感じた.





いくら貧しい土地でも、その片隅に


かぼちゃの種でも  その辺にまいておけば、ちょっとした野菜は育つものだ.


でも、実際リザベーションのマーケットには 、野菜なんか 売っていない.





巧みに、何かが行われている.





彼らの生活をおびえさせていたものは、飢えることではなかった.


毎日毎日を、ただ食べるためだけに  生きている.








巧妙に仕組まれた、巧みな錯覚.








何かに、もうどうしようもなく ワクワクしたり、


喜びを感じたり、満たされるということに


だれかの 力とか お金とかって 必要だろうか.





世の中は、巧みに すり替えられ


奪われてしまっている何か  に満ちている.








インディアンの一人の、長い髪を三つ編みにしていた友人は、


その髪を切らないということが理由で、


リザベーションの学校から刑務所に 送り込まれた.





サンダンスと云って、ただ祈り踊るだけで


それらに隠された見ることのできない  大いなる力に おびえる政府は


ありとあらゆる方法で ことごとく それらを支えつづける賢者たちを 追いつめる.





それでも 彼らは  見えない力に支えられていた.











ベリーズとグゥアテマラの国境ぞいの とおげの村を


がたがたなバスで通っていた時...





夕暮れの静かな村


夕日に淡いマジェンタに浮かび上がる質素な家々、


文明国にはもう見つけられないような、 土の上に直にたつような家々.


夕飯の支度か 薪の燻る香りを嗅いで、とてつもなく満たされたことがある.





川で並んでお喋りしながら洗濯をする村の女たち...


そこには  


なんともいいがたい ...静けさとともに  調和と平和が漂っていた.











日本の  大都会で 、産まれ育った私だけれど、


ある時 何かを思い、その全てを捨てて  山に暮らした.


見よう見まねで  初めた暮らしだったけれど、


私の中の 何かは   満たされていた.





街に暮らしていた頃と比べたら、 その暮らしぶりは  一見とても貧しかった.


けれど、必要なものは  最低限 全て満たされていた、





むしろ   ただただ 生きている  喜びに満たされていた.





鳥の鳴き声と ともに目覚め、


小川のせせらぎに 耳を澄まし、 夜空に 星の 流れるのをおった.


自然は、時に厳しく、あらしの夜は 息を潜め、


それらが過ぎ去るのを ひたすら 待っていた.


でも、 そこには いつも  とてつもない  安心と 落ち着きが あった.





そこで暮らす間、飢えていること、 いつも何かを 探していることが なかった.











ただ.... そこに居たと思う.











まだ見ぬ土地を 旅するとき、 そこで目にする 沢山の情景に 心うたれた.


.....私は 、何かを 探していた.





長い旅の  途中、 その何かは  貧しい村の  薪の煙とともに訪れた.


忘れられない  瞬間だった.  心地よさと、懐かしさ.....








 


私たちが、無意識で していることが、 実は、沢山   あるね.


私たちが 飢えている時、 無意識に 沢山の 力の弱いものたちから


むさぼり続けているものが   あるんだよ. 





人間は 、意外とそんなに 沢山のものがなくても、満たされる ものだと思う.


むしろ、 そう云うものがない方が、  逆に   満たされ易い  のかも.








 


在りとあらゆる 、この星に  共に 生きるものたちが、


それぞれの場所で、  内なる力を 感じ、


静けさと..喜びと 共に暮らして いますように. いま、 この瞬間も.





私たちは、 それぞれの 暮らしのなかに居る、


この瞬間にも、 いつも 一つに 繋がっていて、


全ての全てを  無意識で 共有して. ...居るのだと思う.














目覚めて 居たい.  どの瞬間に  おいても...








thank you all my rerations

poem: keiko k. forest april 15th 2007


(keiko k. forest さんの詩)



keiko k. forest さんのサイト : Be Green ~living foundation~

keiko k. forest さんのブログ : Organic life of Hawaii
10:18  |  和の世界  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.15 (Sun)

秋田県 土崎港空襲 ~日本で最後の空襲~

秋田港は雄物川の河口に発達した港で、土崎港と称していたが昭和16年の秋田市・土崎港町の合併により秋田港と改称された。

秋田県秋田市土崎の秋田港周辺は現在でも採掘可能な油田が存在しており、空襲に晒される事も無く無傷のままであった。

終戦前夜の昭和20年8月14日の22:30から翌15日の03:30まで、土崎は米軍機による激しい爆撃を受けた。

秋田県における最初で最後の大規模空襲は日本石油秋田製油所破壊を目的にしたもので、132機のB29から投下された爆弾は12,047発・約1,000トン、製油所周辺は真っ赤に燃えあがり石油精製工場の87%・貯蔵設備の70%が破壊された。

夜間の攻撃だったために目標がそれやすく被害は工場周辺の住宅地区にも及び、特に通称ハマナシ山の日石住宅では住民の被害が大きかった。

港でも工事中の浚渫船2隻が爆撃を受け沈没、死者が出ている。

この空襲による死者は100人とも250人以上とも言われているが、正しい人数は判明していない。

 

秋田・土崎港空襲は、日本で最後の空襲となった。



秋田 平和を祈る乙女の像

秋田県秋田市 港湾公園 / 平和を祈る乙女の像



秋田・土崎空襲
09:59  |  和の世界  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.14 (Sat)

天国からの手紙 ~エレナが残したメッセージ~


Watch Notes_Left_Behind in Animation  |  View More Free Videos Online at Veoh.com



エレナはきっと、たくさんの愛を伝えるために地球に舞いおりた天使だったんだと想います。
00:29  |   |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.13 (Fri)

ラビラビ / 風の祭り2010





うしなわれてしまった何かを、取り戻す音楽を奏でるラビラビ。

ここは、何処だろう。

大地をはだしでかけぬけ、風を感じ、太陽を浴び、そう、すべてと共にいたんだ。

そして今も、共にいるはずなんだ。

はしれ。 風を感じろ。



ミュルアさんのブログを通して知りました。Mahalo!

ラビラビのサイト


【ラビラビ】
ふたりの打楽器と声の破天荒なフリースタイル3人組。歌い手の女性と打楽器の男性と女性。
自然と一体となり即興で紡ぎ出すリズムと唄は、太古と未来が波のように押し寄せ、「縄文トランス」と呼ばれる新しい祝祭空間を創りだしている。
東アジアの各地で年間100本を超えるライヴ,フィールドレコーディングを行うサウンドジプシー。
23:50  |  音楽  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.13 (Fri)

心の奥底の本当の叫び

苦労をし過ぎた人の中には、認知症に成る人が多いです。

これは神の恩寵かも知れません。

最後の時期を、苦しかった過去の思い出の磁気から離れてもらう為に。

そして。。。死後に正気に戻ります。

死語49日間に、今世を振り返ります。

今でも、この母親の内在神は全てを観ています。

-----

テレビでアルツハイマーの母親を介護する娘のドキュメンタリーがありました。

気丈で頑張りやだった母親が徐々に呆けていきます。

感情を抑えきれずにわがままになっていきます。

わがままな人に八つ当たりされるというのは辛い仕事です。

しかしその娘は、半身不随の父親とともに母親の介護も行っていました。

どんどん物忘れが激しく、そして子供のようになっていく母。

しかし驚いたことにその母親が手紙を書くとそこには正気だった母がいました。

その手紙は献身的に介護をする娘に対する感謝の言葉で埋まっていました。

通常の会話ではそんなことは言いません。

ただわがままな幼児のように娘に八つ当たりするだけです。

自分が手紙を書いたことも、次の瞬間には忘れてしまうのです。

父が亡くなり、その後も何年も娘は母親の介護を続けました。

呆けはどんどん進行し、自分は退行していくので、娘を実の姉と思っています。

しかし手紙には、やはり感謝の言葉で埋まっています。

呆けはどんどん進行しても、死ぬ直前まで手紙には感謝が書かれていました。

「あなたのおかげです。どうもありがとう。」

このドキュメンタリーを見て、私はどんな人も心の奥底では正気なんだと知りました。

表面ではどんなにわがままにになって、物忘れがひどくなっても、退行していっても、奥底の心は正気のままなのです。うむ~。

私たちの心は内在神と繋がっています。

表面的な脳の反応は退行していっているかもしれませんが、心の奥底は内在神と繋がっているのです。

肉体を持って生きてる限りは。

だから今回の症例は文字を書くという、正気に近い脳のルートを使う表現では、その内在神から感応する感謝の言葉がほとばしるのです。

この番組は、表面はどうであっても、私たちの心の奥底は正気であるということを証明しました。

さて、私たちの日常でも、???とはてなが幾つもつくようなわがままな人がいます。

他人に対する思いやりを全く持っていないような傲慢な人がたくさんいます。

当然私たちはそういう人に腹をたてます。

日常生活の大半の時間はそういう人たちとの争いにエネルギーを割かれています。

実際、口論していなくても私たちの心の中のでは漏電しています。

しかし、彼らとて、このアルツハイマーの母親と同じなのではないでしょうか。

過去のトラウマによるものかもしれませんし、神経ホルモンのせいかもしれません。

そのために動物的反応をして周囲の人を傷つけているのだと思います。

その人の中にも内在神がいて、そして心の奥底ではその内在神と繋がっています。

もしそのトラウマやホルモンのアンバランスを回避して、心の奥底の感情を表にだすことが出来たとしたら、私たちに対する感謝と謝意の気持ちが溢れだすかもしれないのです。

今この口角泡吹いて敵意丸出しにしているこの彼は、同時に、内在神と繋がっている心の奥底では、私たちに感謝と謝意に溢れているかもしれないのです。

私たちは表面の相手の行動しか目に入りません。

相手の言った言葉と、私たちに対して行った行動しか認識できません。

でも彼らの心の奥底の声も感じ取れたらいいなと思います。

心の奥底の声を聞きたいです。

どうやったら聞こえるようになるのかな~。

いろんな事を気づかせていただいてありがとうございます。

生かして頂いてありがとうございます

★★★★★★★★


以上は、ショック行灯さんのブログ「ショック療法」から転載させていただきました。

素晴しいお話だと想います。


私には、かなり症状のすすんだ認知症の祖母がおります。

施設で診てもらっているのですが、もういつも夢の中にいるような状態で、うなったりしていて、私のこともわかっているのかわからっていないのか、というような感じです。

それでも、手をとって、頭をやさしくなでて話しかけると、見えているのかわからない目で私をみつめて、「そうだなあ」と返事をしてくれるし、歌を歌ってくれます。

いろいろなことは忘れてても、歌はしっかり覚えているんだなあ、って想います。

祖母は、認知症になる前はたいへん教養があり、祖父の経営する会社の役員も務め、地元の商工会の女性会長まで務め、引退したあとは料理や、趣味の押し絵や俳句を創ったり、庭の手入れをしたり、拾ってきた猫の世話をしたり。

読書や歴史の研究もしたり。

近所の交番のお巡りさんや、いろんな業者の方へもよく「あがってお茶っこでも飲んでいけ」と声をかけて、家にはよく祖母が呼んだいろいろな客人がいたものです。

昭和一桁生まれなので、戦争も経験し、弟をおぶって疎開したり、苦労もしてきた。

でも、精一杯人生を謳歌した人だと想います。

私にとって、たいへん大きく、強く、優しい祖母です。

それがいつからかおこりっぽくなり、認知症になってしまった。

このお話のように、きっと心の奥深くでは、すべてわかっている。

そう想っています。

今は静かに生きています。

きっと、祖父のために生きているのだと想う。

大正生まれの祖父は、足腰は弱って杖をついているけど、頭はしっかりしている。

毎日、祖母の施設へ通っています。

何するわけでもない。

ただ一緒にいるだけです。

それでも、夫婦が一緒にいる。

それだけなんですが、きっと、それだけでいい。

それが、愛なんだと想います。
23:22  |   |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.13 (Fri)

「ありがとう」って言いそびれたヤツいる?





ひろみさんの記事「謝るということ」の中で紹介されていた、

KOKIAの「ごめんね。」そして「ありがとう」という曲から知った話です。

2ちゃんねるへの書き込みなんですが、感動しました。

家族の絆。

家族の愛。

お盆のこの時期。

きっと、天から愛する家族が逢いにきてくれていることでしょう。
22:34  |   |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.13 (Fri)

Michael Jackson feat. Naomi Campbell / In the closet





セクシー全開のマイケル。

ナオミ・キャンベルも素晴しくセクシーです。

マイケルはきっと今頃、天から地球を見守ってくれているはず。

地球を、きっと愛のある素晴しい惑星にするからね!
21:43  |  音楽  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.13 (Fri)

Michael Jackson / Black Or White






私の人生を変えた曲。

世界中の民族的舞踊をとりいれたダンスと、最後のフェイス・モーフィングエフェクトが素晴しい。

白も黒も赤も青も茶も黄色も、みんな地球の仲間だよね、マイケル!
21:29  |  音楽  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.13 (Fri)

その後~入力より出力が大きい発電プラントを開発した伊佐森栄さん

以前、

入力より出力が大きい発電プラントを開発した伊佐森栄さん

という記事を書きました。

ひろみさんがコメントをくれたので、再びスポットがあてられました。
どうもありがとう。

ひろみさんがみつけてくれた、伊佐森栄さんの揚水機用シリンダの特許のサイト


そして、この記事に非公開コメントくださった方からのメールで、

伊佐森栄さんのその後の状況が、わかりました。

このメールをくださった方は、今年の2月に石垣島へ行かれ、なんと伊佐さんのその後を調べてくれたのです!

ちょっとメールの一部を転載させていただきます。


『早速ですが、石垣島へ行ってわかった伊佐さんの情報をお知らせいたします

伊佐さんは既に亡くなられています
人づてで開発にたずさわった方に会い話を伺いましたが、今後は弟さんが伊佐
さんの意思を次がれていくようです

弟さんは東京におられるとのことでしたが、連絡先がわかりませんでしたのでそ
の方に私の名刺をわたして帰りました

しかし、未だに弟さんからは連絡がありません

開発した設備については台湾へ持っていかれたとかいってましたが詳しくは聞け
ませんでした

ちなみに私は永久磁石を利用した発電機を開発した北吉さんにも会いましたが、
話だけで機械を見ることはできませんでした
開発しては作り直し、開発しては作り直しで作った機械を保存していないのがよ
くないようです

また、湊さんの会社へも電話しましたが、発電機として世に出すつもりはないよ
うでした』



とのことです。
よく調べてくださいました!
なんという行動派。

ありがとうございます Mahalo.


伊佐さん、なくなられていたんですね。

弟さんが意志を継がれている、ということが嬉しいです。

台湾に設備があるそうですね。

次なる文明では、こういった伊佐さんのエネルギー技術が使われることでしょう。

はやくそういう世の中に、なれるといいですね。

すべては地球人類の意識次第です。





10:17  |  和の世界  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.12 (Thu)

ほほえみ ~自分自身を信じる~


このあいだも大屋政子さんと対談したんですが、あの方はいつもニコニコしているでしょう。

いやなことがあってもニコニコしていますね。

長い年月のあいだには、いろいろいやなこともあったそうですが、はたからはいつものんきにアッパッパを着てやっているように見える。

本当はあの姿は氷山の一角で、その下に沈んでいる部分というのは苦しみと困難と涙で大変なものがあるのに、いつも人への思いやりを忘れない方なんです。

それは、自分が逃げないで苦労してきたからできるのです。

いつもほほえんでいるということは、そういう苦労をくぐりぬけてきた自信から出ているんです。

自信のない人というのは、経験からいつも逃げている人なんですね。

ワッと来たらこっちに逃げ、あっちに逃げる。

いつも横ばい人生で、前に進んだことがないし、下手をすればうしろへ下がったりしているわけです。

困難が来たらそれを突き破って、前に出ればいいのです。

そうすれば「自分はまったくだめで、こんな苦難には立ち向かえないと思っていたのに、やればできる。
まんざら自分も捨てたものではないな」と思えてきます。

自信が出てきます。

それが結局自分を大事にするための生活の知恵なんです。

自信を持つことはうぬぼれることではありません。

「自分を信じる」と書いて自信というのです。

おのれを信じるということが一番大事なのです。

よく、「私のことをちっとも信じてくれない」という人がいますが、そういう人に「では、自分のことを信じていますか?」と聞くと、「自分でも信じられない」と言うんです(笑)。

自分も信じられない人が、他人には「信じてくれない」と不満をいうというのは図々しい話ですね。

ですからまず自分が自分を信じることですね。

自分を信じられるような人間にまで自分を高めて、それで経験を積んで、練磨していくのです。

そうすると、「この前はあれだけできたんだから、今度もできないことはないわ」というふうに次第に自信が持てるようになるのです。


(ほほえみの首飾り)
23:41  |  美輪明宏  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.12 (Thu)

ほほえみ ~ほほえみを取り戻すキーワード~


人間というのは元来そういう能力を持っていますし、また、どなたにでもご守護神とか守護霊とか背後霊がいて、ご先祖様のいない人はこの世にいませんから、とにかくお願いをして、守護してもらうようにするのです。

ほとんどの人が錯覚を起こしているのですが、先祖というと本当に狭い部分の人たちだけを先祖だと思い込んでいる。

それは大間違いなんです。

お父さんの両親、さらにその両親、またさらにその両親というふうにさかのぼると、たくさんの人が先祖となってくれているのだということがわかります。

母方にも同様にいるわけですから、本当にものすごい数の人たちの血や細胞や、喜怒哀楽のいろいろな思いが一個の人間の中に入っているわけです。

そして、その中にはいいものもあれば悪いものも混在していますから、その中のよいものだけの力を借してもらうということが大事です。

清い溝を清い水が流れるように、自分が美しい想念を持つようにしなければいけないのです。

けれども美しい心というのはなかなか保てないんですね。

それを保つにはどうしたらいいか?

たとえば「南無妙法蓮華経」というのは、「妙法蓮華経に帰依します」という意味ですね。

そしてその「妙法蓮華経」というものの中には阿弥陀様も入っていれば、八百万の神々も入っている。

そして宇宙の神々のほかに、自分自身も仏の一員として入っています。

どなたにも仏性と呼ばれる仏の部分がありますし、悪魔の部分もありますね。

その仏性が「南無妙法蓮華経」という言葉で呼ばれるわけです。

だからこの言葉は自分の仏の部分がどんどん拡大されていく言葉です。

ともかく「南無阿弥陀仏」でもいいし、「南無妙法蓮華経」でもいい。

いろいろご宗旨もありましょうから、そういうキーワードを1つ持つことが大事なんです。

このキーワードというのは、つまりほほえみを取り戻すキーワードなのです。

(中略)

そういう状態で、「南無阿弥陀仏」でもいいですし、「南無妙法蓮華経」でもいいですし、神道なら祝詞でもいい、とにかく自分の好きなキーワードを唱えるわけです。

そういうことをいつもしていれば、たとえば街を歩いていてカッとすることがあっても、それから渋滞の中で車を運転してイライラして、バカヤロー!なんて言いたくなっても、ハッと「南無妙法蓮華経・・・」というふうに胸をなでる余裕が出てくる。

人間というのは、習慣づければそういうことができるようになるのです。

お題目とかお念仏というものは、そういう使い方をなさるととても便利です。

便利というと怒られますが、そのために神様がくださったと思うのです。

そういう使い方をなされば、毎日が楽に生きられますね。

人間というのは、困難が起こったり、悲しいことが起こったときには、感情だけで理性がなくなってしまうんです。

そうなってもいいから、一時間でも早く理性を取り戻せるようにするには、そのキーワードを言って、ものごとの理屈がわかるような冷静さを取り戻すようにするということですね。

それがあると上手に生きられます。


(ほほえみの首飾り)
23:32  |  美輪明宏  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top

2010'08.12 (Thu)

ほほえみ ~第三の眼で世の中を見る~


よく、「キリストやお釈迦様が偉いんだったら、どうしてあんなに苦労ばかりで楽な目を全然見ないで、ひどい死に方をするんだ」という質問をされる方がいらっしゃるのですが、私は「あれは試験をされているんですよ」と申し上げるんです。

つまり、あれは人生の大学院なんですね。

ですから心の中が本当にきれいになればなるほど、それに見合っただけのものすごい試練が来るわけです。

けれどもそれにたじろぎもしないし、引っかかりもしない。

お釈迦様が菩提樹の下で瞑想にふけっていると、豊満な女性が色仕掛けで堕落させようと現れますね。

それでも引っかからないとなると、今度はおどかしにかかる。

それでもだめだとなると、情で来る。

「お母さんが病気だよ」とか、「奥さんが病気で死にそうだよ」と言ってくるわけです。

私たちはそれを「おためし」とよく言うのですが、その「おためし」というのはいろいろなかたちで来ます。

お金に弱い人は、経済的な面でどんどん痛めつけられますし、経済的には問題ない人には情できます。

この人生にはいろいろな「おためし」がきます。

けれどもそれに引っかかってはだめなんですね。

最初は引っかかりますが、「これは試されているんだな」と思うようになる。

守護神とか守護霊とか背後霊とかという人たちに試されているんだというふうに思えばいいわけです。

肉眼のほかにもうひとつ第三の眼というのが額の真中にあると言われていますが、その第三の眼でもって世の中を見るようにすれば「おためし」に引っかかることはありません。

それによって、世の中の裏を見ることができるからです。

弥勒菩薩でも阿弥陀如来でも観世音菩薩でも、仏様はみなさん半眼を開いていらっしゃいますね。

半眼を開いているというのは、半分で現実の世を見て、半分では脳細胞の中に映っているもう1つの次元のものを見ているわけなんです。

肉眼で見えないものを、心眼で見ているわけです。

この心眼が第三の眼です。

(中略)

そして一番いけないのは、そういう問題を解決するために、霊能者のところへ行ったり、占い師のところへ行ったりして、人の力を当てにするということなんですね。

宗教というものはそういう部分でもっていることがあるのも事実です。

そうではなくて、まず自分が教祖様になろうと思えばいいのです。

思い上がった気持ちではなくて、自分が困ったときには自分で何とか処理できるような力を身につけたいと思えば、それは必ず神様に通じます。

そういう力をつけるのはピアノを習うのと同じで、はじめはバイエルという初歩の段階があるんですが、それでも最初は指が動かなくて、なかなか弾けないんですね。

ところが毎日練習をしていますと、だんだん動くようになり、上の段階に進んでいけるようになります。

そうやってショパンでもモーツァルトでも弾けるようになっていくわけです。

そういうふうに、だれだってはじめからベートーベンが弾けたりモーツァルトが弾けたりするわけではないんです。

はじめの一ヶ月でうまくいかないからといって、私にはできないと思ってはだめです。

そう思ったら何もできません。

人がやれるのに自分ができないわけがないというふうに思って、とにかく毎日やっているうちにできるようになるのです。


(ほほえみの首飾り より)
23:14  |  美輪明宏  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  ↑Top
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