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2010'06.22 (Tue)

幸せな社会かどうかを判断できる基準

ある社会が、人間本来の幸せを享受できる社会かどうかを判断できる基準があるが、それは何だと思うか?

それは、性というものに対して、それを受容する社会か、それともそれと戦おうとする社会かだ。

あなた方は忘れているが、性とは本来、卑猥どころか、その対極にあるものだ。
それを卑猥なものにしてしまったもの、それはあなた方の社会に現れた支配者であり、その権威だ。
そしてそうした権威者が作った善悪の観念だ。

現代の商業社会においても性が果たす役割は甚大極まりない。
書店に並ぶごく一般的な雑誌類もその大半は、直接、間接を含め、性的意識を引き金にしている。
美容やファッションさえも性的意識に繋がるものだ。
性の意識が歪めば歪むほど、抑圧されればされるほど、その求引力は強くなる。

性におおらかな社会では、人はそれを無闇に求めなくなる。
そうなったら、産業という産業は停滞してしまうだろう。

商業社会や権威社会の支配者たちは、どんな時代にも性の抑圧を重んじるものだ。
「このヌード写真の性器の部分だけはぬりつぶすように、そうすれば販売してもいいから・・・」
なぜどうせならすべてのヌードを禁止しないのか。なぜ認めるなら、すべてを認めないのか。
命あるものにとって最も荘厳なる部分を卑しむのか。
なぜ生まれたままの姿であることが犯罪なのか。
そうやって、人間の欲望は結果として増大してゆく。

欲望をふくらませた人々は、様々な金品を追い求め、幸福を追求する。
神から与えられたありのままの幸福は見えなくなり、歪んだ代替としての金品を、欲望のままに求め続ける。
その活動こそが経済を活性化させる。
欲が人を動かし、欲が社会を動かす。欲こそが社会の中心原理となる。

それゆえに、自然なる世界を次々に蝕み、人と人とが富を求め権力を求め、互いに争う結果へと至る。
求めても求めても満足することを知らない欲望は、とどまることを知らず、歪みはさらに巨大な歪みを生み出す。
現代社会の悲劇である。


この村の人たちは裸をはずかしがるという観念がない。
川での沐浴では男女が一緒であることもしばしばだ。
また、暑いときには全裸で過ごすこともある。
それどころか、性行為を恥ずかしいものとみなす観念さえも彼らにはなかった。
インドなどの先住民族が性行為を人前でも行うことは本では読んだこともあったが、実際に出会ったのはもちろん初めてだった。
何度かその場面に出会ったが、私たち文明人のセックスとはまったく異なることに驚かされた。
詳しくは後でふれるが、彼らは私たちのような射精至上主義のセックス観とはまるで異なる性観念をもっているのであり、それは性に対する神聖な概念からきていることは、彼らのその行為を見るだけで明らかであった。
こうした姿を当たり前に見ながらこの村の子供達は育つのである。

その謙虚な性への姿勢こそが、考えられないほどに自由で、神を観るほどにやさしい子供達を育てている。



(千賀一生 / タオ・コード より抜粋)
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