2010'08.03 (Tue)
最も身近なところを大切にする
私自身も無我夢中で仕事をしてきました。
我を忘れ、他の人から注意されても、助言をいただいても、まったく耳に入ってきませんでした。
健康であることを過信して無理を重ね、感情を高ぶらせ心配・恐怖から身体をこわしていたにもかかわらず、家族のためと思って、寿命をすり減らして、寝る時間も惜しんで働いていた時期がありました。
しかし、そんな私も生命の本質に気づき、自分を変えたことから、周囲の人たちに生命の大切さを伝えられるようになりました。
1つ言えることは、家族は深い縁をもって出会っているということです。
最も身近にいる家族を大切にすることが基本になければ、現在の役割は何の役にも立たないのです。
家庭や職場は、自分以外の人といっしょに生活する(=生命を活かす)ことによって、自分の生命を磨くためにあるのです。
世のため人のために行動するには、どこか特別な場で行うものだと思ってはいませんか。
何も特別の場である必要はありません。
それよりも、まず自分が一番お世話になっている家庭という身近な場で行動・実践することです。
次に会社、そして社会というように、身近なところから順に実践していくことです。
自分を磨くには、どこよりも自分が今、最も親しい人たちと共にいる場所で行うのが一番です。
人は親しい人といるときにこそ、自分の特徴(くせや習慣)が顕著に現れるからです。
なぜ親しい人といると、自分のくせや習慣が出るのでしょうか。
それは親しくなると遠慮がなくなってくるからです。
気持ちの許せるところでは、自分の我---自我が出やすいのです。
そして、その自我から来る我欲は誰にでもあるものです。
人間ですから「我の欲」は必要なのですが、その欲のあり方が問題となります。
自分のためだけの欲ではなく、1人でも多くの人のために「大きな欲」をもつことが「欲」本来のあり方です。
(黒沢吾耶 著/ 宇宙とわたしの不思議な関係 より)
我を忘れ、他の人から注意されても、助言をいただいても、まったく耳に入ってきませんでした。
健康であることを過信して無理を重ね、感情を高ぶらせ心配・恐怖から身体をこわしていたにもかかわらず、家族のためと思って、寿命をすり減らして、寝る時間も惜しんで働いていた時期がありました。
しかし、そんな私も生命の本質に気づき、自分を変えたことから、周囲の人たちに生命の大切さを伝えられるようになりました。
1つ言えることは、家族は深い縁をもって出会っているということです。
最も身近にいる家族を大切にすることが基本になければ、現在の役割は何の役にも立たないのです。
家庭や職場は、自分以外の人といっしょに生活する(=生命を活かす)ことによって、自分の生命を磨くためにあるのです。
世のため人のために行動するには、どこか特別な場で行うものだと思ってはいませんか。
何も特別の場である必要はありません。
それよりも、まず自分が一番お世話になっている家庭という身近な場で行動・実践することです。
次に会社、そして社会というように、身近なところから順に実践していくことです。
自分を磨くには、どこよりも自分が今、最も親しい人たちと共にいる場所で行うのが一番です。
人は親しい人といるときにこそ、自分の特徴(くせや習慣)が顕著に現れるからです。
なぜ親しい人といると、自分のくせや習慣が出るのでしょうか。
それは親しくなると遠慮がなくなってくるからです。
気持ちの許せるところでは、自分の我---自我が出やすいのです。
そして、その自我から来る我欲は誰にでもあるものです。
人間ですから「我の欲」は必要なのですが、その欲のあり方が問題となります。
自分のためだけの欲ではなく、1人でも多くの人のために「大きな欲」をもつことが「欲」本来のあり方です。
(黒沢吾耶 著/ 宇宙とわたしの不思議な関係 より)
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まずは、自分の家族と真摯に向き合うことが大切なのかもしれませんね。