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2010'08.07 (Sat)

58年間被爆者を診てきたお医者さんのお話

どうも皆さま、初めてお目にかかります。

肥田舜太郎という内科の医者です。

医者といっても、1917年生まれで今86歳ですから

もう古ぼけた医者なんですけれども、偶然ですけれども、

私、広島の陸軍病院で軍医として働いていてヒバクをします。



それからヒバクシャと縁が切れずに、

ずっとヒバクシャにかかわった仕事をしてまいりました。

そして自分でこの58年間、広島でヒバクをした人間が

どういうふうにして死んでいくかということをずっと見届けてきました。

まだ今でも死んでいます。

で、世界、あるいは皆さんもそうですが、

広島・長崎の原爆が人間に何をしたかということについては

ほとんど真相が知らされていません。



大きな爆弾で街が吹っ飛んだ、熱が出て大きな風が吹いて

街が壊れて人が焼けて潰されて死んだと、この姿は伝えられています。

けれども、放射線が体の中に入ってじわじわと殺されながら、

まだ今でも殺されている、治療法が全くない。

こういう事実について、私は世界の人たちに核兵器の恐ろしさを伝えるために活動してきました。

今日は皆さんに放射線の恐ろしさというものを、

ここにヒバクシャが来ていらっしゃいますけれども、目に見えないし、

自分でもどこをどうやられてるか全然分からない。

医者に見せても分からないし、そして治らない。

こういうものの姿を分かっていただけるようにお話をしたいと思います。


時間が短いので、広島のヒバクのいろんなことをそう詳しくは話せませんが

、皆さんいろんな本を読まれたり、

写真集や映画をご覧になって想像はできると思うんですが、

そういう所に出ていない放射能被害の問題を中心に話します。







●夜明けの2時頃に、往診を頼まれて6キロ離れた村に出ていきました●  



私は爆心地から600メートルの所にあった木造の

小さな分院のような陸軍病院にいました。

患者、職員合わせて、みんな軍人ですけれども600人ぐらいおりました。

爆弾が落ちて、門を生きて出たのは3人しかおりません。

その3人のうち、今1人だけが生き残っています。

私はそこにいればもう当然黒くなって死んでいたんですけれども、

夜明けの2時頃に、6キロほど離れた戸坂(へさか)村の農家の子供が

心臓の発作を起こしたのを往診を頼まれて出ていきました。

そこに泊まって、寝坊したため朝8時頃に目を覚ましました。

早く帰ろうと思って、爆弾が落ちたのは8時15分なんですが、

その爆弾の落ちるまでの間、私はまだ寝ている子供を診察して、

目を覚まして不安になって発作が起きないように鎮静剤の注射を準備しました。

その瞬間に爆弾が爆発したんですけれども、

6キロ離れた私のいた大きな農家は屋根が飛びました。

家が崩れて私は飛ばされました。



まあ、そういう細かい話はしていると時間がありませんから、

とにかく赤ん坊を助け出し、息のあることを確かめて、

すぐ病院へ帰るために私はそこから広島へ向かっての県道を自転車で走りました。

当時は自動車っていうのはなかったんですよね。


太田川という大きな川に沿って片側はずっと山で、

そして右側の土手の上の県道を走って帰ったわけです。

で、ちょうど広島まで帰る途中の真ん中の所で、

今から思えば広島から逃げてきた最初のヒバクシャ、人間だったわけですが、

私はその人に会った時に人間だとはどうしても思えなかった。

これはもう絵に描いてお知らせするよりしょうがないんですが、

私の目の前でその人はばったり倒れたんですが、

倒れて初めて私はその人が生きた人間だということが分かって、

それで駆け寄って脈を取ろうとしました。

医者は倒れた人を見るとまず第一に必ず脈を取ります。

その脈を取ろうとして手を持いってった時に、

私はその人がボロを着てるとばっかり思ってたんですが、

ボロを着てるんじゃなくて素っ裸の生皮が剥がれてぶら下がってるんですね。

だから、ちょうど自分の皮が剥がれたのがマントのように体に引っ掛かってる。

そして私が触ろうとした手には皮がないんですね。

さわる皮膚がない。脈が取れない。
こういう惨状の人間っていうのは、私見たことがない。

どうすることもできずに、その人の周りを「しっかりしてください」とぐるぐる回ってました。

ところが、私の目の下でその人はうつぶせになったまま

痙攣を起こして動かなくなりました。

これが私の見た最初のヒバクシャの死人です。

それで、ヒバクした人がいっぱい来て道を歩けませんから、

川の中へ飛び込んで、川の中を広島へ向かって

自分の病院へ行こうとしたんですが、

ちょうど広島の入り口で火と煙といろんなものに妨げられて入れなかった。

そして私が立っている川の向こう岸からは、

火の中からたくさんの人が真っ赤に焼けながら川へ飛び込んで逃げてくる。

その人が私の横を通って海岸のほうへ川を歩いていくんですが、

誰も私を見る人がいない。

幽霊のようにみんな手を前に出して真っすぐ向こうを向いて、

川の中の私のすぐそばを歩きながら、私を見る人もいなかった。

「大丈夫ですか、しっかりしてください」って、私は声をかけたんです。

だけども、あとでその逃げていった集団の村で

その人たちと話をした時に、

「あの川の中で私を見て覚えてる人、誰かいるか?」と聞いたんですが、

私を見たって人は誰もいませんでした。

ただ熱くないほうへ向こうを向いて逃げたということなんですね。

私の帰った村は私が朝出てきた戸坂村なんですが、

これは広島から北へ向かって初めてある村です。

当時はその間には人家は1軒もありません。

ですからその村へみんな入ったんですね。

私はそこに約3カ月いましたけれども、3万人ぐらいの人が逃げてきました。

そのうち何人死んだか記録はありません。

私がその晩目分量で見ただけでも、

4千人ぐらいの人が村の中の空き地の乾いた土の上に、

みんな裸で横たわっているんですね。

村の家はみんな屋根が壊れましたから、家の中へは入れない。

結局、地べた、乾いた土の上、役場の広場とか学校の校庭とか、

あるいは農家の前の庭に、もう足の踏み場もないほど人が倒れこんで、

みんな焼けていて人間らしい顔をした人は誰もいない。

顔がみんな焼けてるんですね。

何の誰兵衛だか全然分からない。

で、私が一番始めにやった仕事は、

生きている人と死んだ人を見分ける仕事です。

情けないことですが医者がそれをやる以外に、

つまり「この人は死んでる、これは生きてる」ってことを確かめる人は誰もいないわけですから。





●この人の目は今でも夢に見ます●  



その時に、今でも忘れられない人が一人います。
そういう倒れて横になってる人の所へ歩いていくんですが、

まだ真っ暗になる前。夏のことですから7時頃まで明るいんですよね。

すると、明るいところへ私がまともな格好をして歩いていくと、

助けてほしい、何とかしてほしいと思うから、みんな私の目を見る。

私は目が合うとどうしてもそこへ座らなきゃならない。ところが一目見て、

「ああ、この人はあと30分」、「この人はもうあと10分も駄目だろう」、

あるいは「この人は半日生きてても駄目だ」ってのが分かりますから、

そういう人に手をとられたら何にもできなくなる。

だから目を合わさないようにする。

ところがとうとうそむけ損なって、

ある若いらしい男の所へ座り込みました。

すると、その人は横になったまま私を食い付きそうな目で見るんですね。

でも身動きができない。

で、私は何かしたいんだけれども、その人の顔は大部分焼けてます。

今から思うと、その人の左の頬が少し焼け残ってて白いんですね。

そこがちょうど私の右手の所にありますから、

何の気もなしにその手を焼け残った頬に添えたんです。

そうしたら、今までぐーっと食い付きそうな恐ろしい目をしてたその目が、

すーっと光がなくなって優しい目になった。

そしてそうなった途端に、その人、カクンと頭を落として亡くなりました。

もう、この人の目は私ずーっと今でも夢に見ます。

何ていいますかねえ、

地獄のような恐ろしい中で初めて生きた人間に会って、

その人間に手を供えてもらった。

おそらく癒しがあったんだろうと思うんですね。

そしてその人は安心したように死んでいったんだと、

勝手に私は今、そう思っていますけれども。

そういう中で、四国や九州の分隊から医者が

それぞれ薬や何かを持って応援に来てくれました。

私の7千人いるヒバクシャの所へ、

元気のいい軍医が看護婦を連れて応援に来てくれた。

私の村でも、私を含めて29人の医者が仕事を始めました。

私たちが最初、“この人はもう駄目だ”と初めから見放した人は

、だいたい3日目までにみんな死にました。

ですから3日過ぎるとどんなに焼けていても、

どんな怪我をしていても、何とかすれば助かりそうな人が残ったんですね。

で、その頃は奥地のほうの村から元気な村民がむしろを担いできましてね、

空き地の乾いた土の上や道路にむしろを並べるんです。

その上に生きてる人を並べるんですね。

で、死んでる人はどんどん運び出す。

治療してる最中にどんどん死にますから、

そこが死ぬとまた新しい患者をそこへ寝かせる。

それがまあ私たちの病室でした。で、かんかん照りですから、

よしずを上へ張って竹を4本立てて日よけを作る。

そこを私たち往診するわけです。





●私たちが見たことのない病気が始まります●  



私たちが、がんばれば何とか助かるかもしれないと思い出した4日目から、

そういう大切な人たちに私たちが見たことのない病気が始まります。

看護婦がずっと見て回るんですが、

「軍医殿ー、熱が出ましたー」って言うんですよね。

私たちは広島にいて一番怖いのは、熱が出ることが怖いんです。

それは皆さんご存知でないけど、

広島という所は昔からチフスと赤痢の有名な所なんです。
広島には全国からたくさんの兵隊が集まって、フ

ィリピンに行ったり出ていくわけですね。

その中に一人でもチフス患者が出て、

そのまま船に乗ったら船の中で全滅しますから、

そのチフス患者と赤痢患者をより分けて保菌者を見つけることが

僕ら軍医の主な仕事だったんですね。

ですから、3千人も5千人も引っ繰り返ってる患者の中から1人でも熱が出て、

それがチフスだったらもう全部死んでしまうわけですから、

熱が出たって言うと怖いからすぐ飛んでいくんですね。

ところが、熱が出たっていうだけじゃなくて、

目とか鼻とか耳とか口、

つまり顔の穴の開いてる所から血が出始めるんです。

たらー、たらーと血が出ます。

鼻血なら分かるんです。口でもまだ分かります。

ところが、目と耳から出るのは分かりませんよね、医者が診ても。

それでびっくりしました。
 で、焼けてない肌がありまして、

こっちから焼かれれば反対側は焼けてないし、

前からやられれば背中は焼けてない。

その焼けてない白い肌に、気味の悪い紫色の斑点がずーっと出ます。

これは血液の病気のときに出る症状なんですね。

それで熱が出てますから、

まず口の中の扁桃腺でも腫れてると思って僕らは口の中を見るわけです。

舌圧子(ぜつあつし。舌に当てる棒)なんてのは当時ありませんから、

農家からもらってきたおさじを入れて、

太陽に向けて口を開けるんです。
それでこう持っていきますとね、うわーっとすごい臭いにおいなんです。

単によく口臭で臭いっていう人がいますけど、

そんなにおいじゃないんですね。

とてもそこにいられないすごいにおいなんです。

医者はすぐ分かるんですが、これは生身が腐ってるにおいなんです。

壊疽(えそ)と言いますね。

よく糖尿病で足に血が行かなくなって、腐って真っ黒になって落ちます。

そういう、生身が部分的にそこだけ死んでいく状態を壊疽って言う。

その人たちの口の中も全部真っ黒になって腐ってるんですね。

なぜかっていうと、ばい菌が感染しますと、

白血球が集まってケンカをして真っ赤に腫れて熱が出ます。

これは炎症と言いますね。

ところが、ヒバクシャの白血球は放射線のために全部なくなってます。

ですから、瞬間にもう腐り始めてるんですね。

壊疽が起こってる。これはなぜ起こってるか分からない。

僕ら、原爆っていうことは知らなかったわけです。

ですから、なぜそんなことが起こるか分からない。

そのうちに、最後に最も恐ろしいのは、

頭の毛が全部なくなってしまうんです。

患者は熱が出るし苦しいから、動くんですね。

動いていて、頭に手をやるんです。

当時は男は全部ざんぎり頭ですね。女性だけが長い。

その長いのも短いのも、とにかく本人が触ると

触った手の下の毛が全部手にくっついて取れちゃうの。

手を頭にやりますと、ごそっと毛が付きます。

本人は禿げたの知らないから、何だろうと思って、

それでまたこうやると、瞬間に頭の毛が全部なくなっちゃうんですね。
これは医学的に言うと、

放射線のために毛の一番下の毛根細胞っていうのが

皮膚の底の地にくっついてるわけですが、

これが放射線のために全部死ぬんです。

ですからしばらくすると、本人は知らないけど毛

が刺さってるだけっていう状態になるんですね。

それで本人は知らないから手でこうやると、

すーっと抜けて取れちゃう。

ちょうどホウキで掃くように毛が抜けます。

だから熱が出て、口の中が腐って、死斑が出て、それで出血をする。

そして最後は脱毛する。

これだけそろうとみんな死ぬんです。

最初は発病して熱が出てから2時間ぐらいで死にました

。それもいっぺんに8人、10人出て、

だいたい同じ時間に死んでいく。

これが不思議だったですね。

私はつい7、8年前まで400ベッドくらいの病院の院長をしてました。

たくさん重症がいますから、毎晩何人か死にます。

当直の先生がとんで回るわけですけど、

5人死のうと3人死のうと、同じ時間に死ぬなんてことは病院ではまずありません。

ところが不思議なことに、

あのヒバクシャの集団は同じ時間に7人、8人発病して死んでいく。

同じなんですね。

この理由は、15年たって初めて分かりました。

それは爆心地から等距離のところでヒバクした人なんです。

これ、もし地図の上に同心円を描いて、

その上にみんな並んでたとしたら、

300メートル、800メートル、900メートル、

同じ距離にいた人がだいたい同じ時間に死ぬんですね。

ところが、僕たちの所にいるのはそういうふうに並んでいるわけじゃなくて、

みんなめちゃくちゃに集まっていて病気になっていきますから、

なぜそれが一緒に死んでいくかが僕ら全然分からない。

で、そこまでは恐ろしいけれども、

何人も見てるとあのピカが光ってやられた人は

こんな死に方もするんだなあっていうのが、

医者には経験でだんだん分かるんですね。

理屈は分からないけど、どうもそうらしいと。

29人の医者がみんな顔合わせて、

俺たちは分からないけどどうも変だな、でも

あの爆弾のせいであることは間違いないよねっていう状態だった。




●何日もたって遠くから来た人から同じ病気が出始めたんです●  



その3日目ぐらいから、私たちの村にも

遠くから身内を訪ねてくる人がいっぱい来てました。

大阪からも来る、九州からも来る、青森からも。

もう1週間目のあたりはわんわんに人が来ます。

それは自分の身内が広島へ行っていて、息子だったり、

あるいは娘だったり兄弟だったり。

で、みんな、新聞を見てもラジオを聴いても、

「広島に米軍が特殊爆弾を投下した。相当な被害が出た模様」と、

これだけが大本営発表なんですね。

翌日の新聞を見ても大きな見出しでこれだけしか書いてない。

何が起こってどうなったかっていうのは全然書いてないんです。

だから、そういうのを見た人はみんな、自分の息子どうなったか、

娘どうなったかっていうのが心配で来られるわけですね。

で、村へ来ると、そういう人たちはみんなきれいなもの着てますから、

すぐ分かるんです。

ヒバクシャはみんな裸かボロです。

焼け焦げたボロをまとってる。

きれいなもの着てる人はみんなあとから来た人ですね。

この人たち、僕らが忙しい仕事をしてても村へ入ってくると

みんな大きな声で、「大阪のどこどこの何の誰姉ちゃーん」とか

「東京の何とかの何とかちゃーん」とかね、名前を言うんです。

そして捜すんです。なぜなら、顔を見ても誰も分からない。

息子だろうが娘だろうが、顔で分かる人は誰もいない。

だからみんな大きな声を出して、誰かいないかって捜すんですね。そ

うすると、どっかで大きな声で、

「ああ、その何とかちゃんはここにはいないよー。どこどこの村へ逃げたの知ってるよー」、

そういう情報が出るんですね。

まれに、そこでばったり本人に会う場合もあります。

そういう中で、本当にびっくりしたんですけれども、

爆弾を浴びてない、何日もたって遠くから来て広島へ入って捜して歩いた、

この人から同じ病気が出始めたんです。

これは本当に恐ろしかったですね。

あの、私の受け持ちがありましてね、

受け持ちっていってもそのむしろのベッドですよね。

区域が決まってて、向こう側の松の木からこっちの土蔵の角、

その間が私の受け持ちなんです。

病室なんですね。それを毎日回って手当てをする。

私の受け持ちの所に土蔵が一つあった。

土蔵って中は涼しいですね。

屋根は飛んでますけれどもそこは一番涼しくて居心地がいいから、

重症をそこに入れてある。

20数人のもう焼け焦げた人が入ってました。

毎日3人、4人がそこで死にます。

死ぬとすぐまた重症が運び込まれる。

だから私は朝起きると一番先にそこを見る。

そしてまた、お昼を持っていくんですね。

ある日、朝行ったら何でもなかったのに、

お昼に行ってみたら、その中で一番軽い人が1人いたんですよね。

その農家の親戚の人らしくて、重症でなくて軽いんだけどそこにいた。

それは一番隅に寝てたんですが、

その隅の隣に若い女の人が着物を着て仰向けに寝てるんです。

で、何かおかしい。まあ見舞いに来たか捜しに来たんだろう、

風邪引いて寝てるんだなと、もう診もしない。

こっちはご飯も食べなければ水も飲まない、

夜も寝ないでもうくたくたになって仕事してますから、

そんなもの診る気がない。
それでまあずっと仕事をしてて、

そのすぐ隣に一番重症の兵隊さんがいたんです。

この重症の人を診終わって帰ろうとしたら、

その重症の人が私をつかまえて言いました。

もうそれから3日後に死んだ人ですから大して力もないんですけれども、

私をつかまえて小さな声で、

「軍医殿、お忙しくて悪いけれども、

隣に寝てる奥さんが熱を出してるから診てあげてください」。

もう本当にあの頃の人間はみんな親切でした。

自分が死にそうになっても人のことがとても心配になる。
で、言われたから、放っておくわけにはいかないのでそばへ行って、

どうせ風邪だろうと思うから、

奥さんは目をつぶってましたから目を開けて診て、

聴診器を当てて、口の中を診て、

「ああ、風邪ですね。お薬一つあげましょう」。

もうあの頃、お薬が貴重品だったんです。

熱冷ましでも、当時の日本には今のように錠剤はありません。

みんな薬局ですり鉢みたいな所で擦って混ぜ合わせて、

1包、1包、薬包紙に包んであるわけですね。

そのもったいないのを一つあげて、

「これ飲んで寝てらっしゃい。何日かしたらこんなものすぐよくなります」。

で、そのまま私は出た。

翌日行って、同じ寝てる。その翌日も寝てた。

3日目の時に声かけようかと思ったんだけど、

忙しいからやっぱり診ないで出ちゃった。

4日目に行ったら、同じ格好で寝てるんですよ、仰向けになって。

で、顔が真っ青なんです。

これ、ちょっと心配なんでそばへ寄ってひょっと見たら、若い20代の奥さんですが、

はだけてる白い肌に紫色の斑点が出てるんです。

あの原爆にやられて死んでった人と同じなんです。

えー、と思ってね。恐ろしいから、「奥さん、どうしたんですか」。

そしたら、だいぶもう体が弱ってました。

目を細く開けてね、「実は」って話してくれたんです。

この人はちょうど1年前に、

広島の真北の日本海に出た松江で結婚をしたんです。

だんなは、松江の県庁に勤めてた当時のお役人、公務員ですよね。

結婚をしてすぐ広島の県庁に転勤になった。

だから新婚のまま広島へ来て、それでどこかの間借りをして、

だんなは県庁へ勤める、奥さんは国防婦人会のたすきを掛けて、

千人針で戦地の慰問袋を作ったりということをしてた。

ちょうど1年たって、お腹が大きくなる。

それで、お産をするのには知らない広島じゃ駄目だから、

実家へ帰るっていうんで、

奥さんはちょうど一月前の7月にお産のために松江へ帰った。

それで松江で子供を産んだんです。
だんなはその間ずっと県庁へ勤めて、

当日の朝早くの6時頃、上役の人に言われて

書類を探すために県庁へ行って、地下室で書類探してた。

だからだんなはピカも何にも知らないんですよ。

いきなりドーンといって天井が落ちてきて、

大きな丸太に足を挟まれて足の骨が折れちゃった。

で、その下敷きになってるんですね。

で、そばにいたあまり怪我の少ない連中が来て

寄ってたかって助け出して、背中に負ぶって、

ちょうど火の出始めた広島を突っ切って、

親戚があるっていう私のいた村まで逃げてきたんですね。

で、奥さんはちょうど1週間目にラジオと新聞で

広島が大変だって言うのを聞いたもんだから、

どうしようかと思ってたら、広島から逃げてきた人がいたんです。

その人があることないことじゃないけど、

広島大変だっていうんでとにかくしゃべって回ってる。

「広島はもう家は1軒も建ってない。全部焼けて潰れた。

そして人間は1人も生きてる者はおらん」。

そういう話をするもんだから、奥さんそれを聞いて

ちょうど1週間目に広島へ出てきたんです。

赤ん坊をお母さんに預けて出てきて、それで焼け跡を捜して歩いた。

皆さんご覧になったか分からないけども、

広島へ入ってちょっと小高い所から街を見渡して、

一番目印になるのはお城なんですよ。

真ん中に広島城がある。

これがあれば、海はあっちで広島城はここだから自分の所はこの辺だって見当がつく。

ところが、真っ平で何にも見えないんですね。

何にもない。で、奥さんは自分の家はどの辺だか訳が分からずに、

とにかく歩き回った。

5日か6日歩いて、とにかく何にも見当もつかない。
そしたらやっぱりたくさん歩いてる人が、

「奥さん、誰を探してるんだ」って言うから、

「亭主を捜してる」って言ったら、「もし亭主が生きていたら、こんな所にはいない」、

「この辺は下にあるのは骨ばっかりだ。だから、生きた亭主を捜したかったら村へ行って捜せ」と。

で、それを聞いて村をずーっと捜して歩いて、

僕の村へ来てだんなとばったり会った。

だんなはそこで足が折れて、いたんですよね。

だから重症なら奥さんは一所懸命看病するんだけど、

だんなは足が折れて座ってるだけだけど、体は何ともないんです。

だから奥さんはすることないから、

近所の重症の手伝いをしてくれた。

それで、その奥さんは結局は血を吐いて死にました。

で、ヒバクシャが死んだのは、

僕らは焼けて死んだと思ったけれども、そうじゃなくて、

みんな放射線でやられてたんです。

それで死ぬときはね、大量に血を吐く。

それからお尻から出ます。女の人の前からも出る。

だから血の海の中でみんな死ぬんです。

で、こういうのを見て、しゃべれる医者はもう誰もいません。

みんな死にました。

まあ86まで今生きてる医者はもういませんからね、とうに。




●医学で分かる前に人を殺すことだけやっちゃったわけです●



で、そこの村から汽車が通るようになって、

方々へみんな帰っていきました。

青森に帰った人もいる。方々へ行った。

これが行った先でみんな発病するんですよ。

それでここからが大事なんですけれども、

爆発のときに上から降ってきた放射線に直接貫かれたのを、

これは「直爆」と言いますね、直接ヒバク。

これだけは政府もちゃんと認めてます。
ところが、あとから街へ入った人、

つまりその日の午後ね、

遠くにいた周りの部隊から兵隊がいっぱい来た。

部隊の命令で救援に入ってるんですね。

消防夫も来ます。

これがみんな焼け跡で大騒ぎして、どんどん死にました。

それから警察官も死んだ。

援助に入った人がだいぶ死んだんですね。

死なないまでも、みんな病気になります。

で、それが一月越しの、三月越しの、半年越しの、みんな死んでいくわけですね。
つまり、あとに入って、

空中やそこら辺に残っていた放射性物質のついた埃を吸い込むんです。

それが体内に入って、何十年もかかって人を殺していく。

これが低線量ヒバク、体内ヒバクの恐ろしさなんです。

原子力発電所で漏れてくる放射線にやられるのはみんなこれです。

それから今アメリカに260万とか300万と言われるヒバクシャがいます。

これは原発の事故とか、

あるいは原子力発電所でウランを吸い込んだとか、

プルトニウムを吸い込んだ。

あるいはチェルノブイリの灰が降って、

欧州全体でたくさんの人が死んでます。

つまり、本当の核兵器の恐ろしさ、あるいは核の恐ろしさは、

直接ガイガーカウンター持っていってこうやってさわって、

ああ、どうとかこうとかいうのはあんまり怖くないんです。

怖いけども、それは死んでも、「ああ、これは放射線で死んだ」って分かる。

ところが、何で殺されたっていうのが分からずにたくさんの人が殺されてるわけです。

私はこのことをみんなに知らせたい。

だから、核兵器もなくさなくちゃいけないし、

原発も止めなきゃいけない。

で、この被害がアメリカの政策と日本の政府の政策で隠されてるんです。つ

まり、「原子力発電所は安全だ」とか、

それから「あとから入って少々の空気吸ったりしたのは、

微量の放射線だから心配ない」。

これがアメリカが戦後ずーっと世界に宣伝し、国連を動かし、

国連に嘘の報告をし、国連の国はみんな放射線被害、

原爆被害ってのは直接ピカッてやられたのが怖いんだ、

そうでないのは心配ないって思ってるんです。
私は30年間外国を歩いて、

もう3千回か4千回公演して歩きました。

テレビで放送もしました。

そこで、ピカも浴びてない、2週間後に入ってきた全く関係のない人が

こういうふうに死んでるということを話してきました。

で、これはこの人は1週間後だから

まだ何とか僕らは見当つけるけれども、

半年後、1年後、5年後、10年後、20年後、30年後に死んだら

全く関係ないことになっちゃう。

こういうかたちで人を殺すのが核兵器だし、放射能なんです。

このことをしゃべれる人が日本にいない。
日本の医者で放射線に関心を持ってる医者はたくさんいますよ。

だけど残念だけど証明する方法がないんですよ。

私はこの癌は広島でヒバクした癌だよって僕は思ってる。

で、これはほかの先生が見てもそうは言えないんです。

今の医学には証明の方法がない。

つまり医学で分かる前に人を殺すことだけやっちゃったわけです。

いまだにそれを明らかにする医学はできてない。
今の医学の「細胞単位」ではなしに、

その60億分の1の「分子の段階」、酸素分子とか炭素分子とか、

そういうものと同じように放射性分子がそこで仕事をして

人間を殺していくということが明らかになるには、

私はあと30年ぐらい必要だろうと思う。

これ、研究する医者がいないんです。

金がかかるし、こんなことは誰もやらない。

だから今放射線については世界中の人間が全部無力です。

医者も無力です。





●アメリカに言わなきゃ駄目なんです●  



だから私は世界中を歩いて、つい去年もアメリカへ行った。

ハンフォードという有名なプルトニウム工場、

アメリカの持ってるすべての核兵器のプルトニウムを作った工場ですね。

それから長崎に落としたプルトニウム爆弾を作ったのはこの工場です。

この工場がもうもうと放射線を出した。

水の中へも流してる。これね、流しっ放しなんです。

全然安全装置を掛けてない。

だからこの風下の農民が28万人今ヒバクして困ってます。

ところが政府は全くそういうものとは関係のないというふうに宣伝をしてる。

アメリカの国民はほとんど放射線のことを知りません。

だからアメリカへ行って核兵器の訴えをすると、

「真珠湾どうした」、「お前らが悪いことしたから核兵器を落としたんだ。

その核兵器の悪口を言うとは何事だ」、「核兵器は人類を救うものなんだ」、

アメリカ人はこう言います。

私は最初に行った時は石をぶつけられました。
それでもがんばって、みんなが集まった所で、

人間がこういうふうに死んでいったっていう話をすると、

「そんな悪い爆弾をアメリカが使ったのか」って、

聞いた人はみんなそう分かってくれる。

だけど2億人いるアメリカ人全部にしゃべって歩くわけにいかない。

政府は隠してます。


アメリカにも良心がある学者がいますから、

体内に入ったヒバクがこんなにも怖いっていうことを書いて本に出す学者がいます。

ところがこれは本に出しますと、

アメリカの原子力産業、核兵器の資本、あるいは政府、電力資本、

これが全部でその人の本が出るすべての小売り屋の前で買い占めちゃう。

だから大衆の前へ出ていかないんですよ。

アメリカはそういう国です。

放射線についてはもう絶対に秘密厳守なんですね。

で、皆さん知らないけど、広島・長崎のヒバクシャは

アメリカの占領していた8年間、「広島でヒバクしました」、

「長崎でヒバクしました」っていうことを言ったら、

警察に連れていかれたんです。

皆さんはその頃の8年間のことを知らない。


ヒバクシャは例えば福島県へ帰っていく。

すると当時は配給ですから、帰っていった人には配給がない。

引き受けた家族は彼を連れて役場へ行く。

「一人増えたから配給手帳をください」、「どちらからですか?本籍は?」、

「広島です」あるいは「長崎です」、

「あ、広島、長崎の方はお帰りください。こ

れは進駐軍のほうで面倒を見ることになってて、

日本政府はタッチできません」と断られた。

だから飢え死にしたヒバクシャがたくさんいます。

私はその面倒を見させられたんです。

そういう苦しい思いをして私はヒバクシャと一緒に生活をしてきました。

だから許すことができない、どうしても。


だから私は今のヒバクシャの日本被団協

(日本原水爆被害者団体協議会)の運動はものすごく生ぬるいと思ってます。

政府に要求して国家補償の何とかかんとかなんてのは、

こんなものはやったって無駄なことなんです。

アメリカに言わなきゃ駄目なんです。

アメリカがこのものを落っことしたことを非難しなきゃいけない。

世界に訴えなきゃいけない。

ところがいくら私が訴えてもね、

被団協という団体は戦闘団体じゃありませんから。

今、おじいさん、おばあさんの団体ですね。

「そんな恐ろしいことは」というんで、

穏やかになっちゃった。まあそれは無理もないと思います。

だけども、私はいずれ、独りになってもアメリカを糾弾しようと思うんですね。

で、今朝の新聞で、中国の毒ガスの被害を受けた個人が

日本政府を訴えて、そして初めて裁判で

これは弁償すべきだって判決が出た記事が出ましたね。

あの記事の中に、国と国の関係の問題であっても、

その被害を受けた人間が直接訴えることができるという裁判の決定が出てますから、

私はこれをぜひ闘いたいと思ってます。





●核兵器という元が潰れない限り、原発は生きますから●  



いろいろお話をしたいと思いますけど、

時間が来ましたから。

私は皆さんの闘いも支援したいんですけど、私自身時間がありません。

もう24時間を25時間に使っても私は全国を駆け歩いて、この話をして歩いてる。


ですから、原発の問題、随分言われます。

私、何人か患者を診てます、原発で中でヒバクをした人とかね。

これはみんな電力資本が抱え込んじゃってお金をあげて、

「しゃべっちゃいかん」ということになってるから

外へ出ないようになってるわけです。

私は何人かそういう人を診させられました。

ですから皆さんの闘いの大事さはよく知ってます。
ただし、お願いがある。

核兵器の廃絶の戦いを一緒にやっていただきたい。

これなしに原発だけを止めろって言っても止まるわけがない。

核兵器をなくすというこの元が潰れない限り、原発は生きますから。

ですからそういう意味で、

世の中から核兵器をなくすというこの運動には皆さんも

手を貸して一緒にやっていただきたい。

このことをお願いして、私の話を終わります。


(アメリカと日本が隠していること / ミュルアさんのブログより転載)
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