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2010'08.11 (Wed)

ほほえみ 上手に生きる秘訣はほほえみ

今日のお話のタイトルは「ほほえみ」でございます。

ほほえみというのはただですし、誰にもできる簡単なことのようなんですけれども、それを日常の生活の中で持ち続けようとすると、これほどむずかしいものもないようです。

外国にいらした方はよくおわかりでしょうが、たとえばエレベーターなどで外国人と一緒になったりすると、まず無言でほほえんで、会釈をしますね。

エレベーターというのは密室で、非常に狭いので、その中で、何となくチラッと目が合ったときにほほえむと、何か空気がなごみます。

ところが日本人はみんなエレベーターの階数の表示を黙ってみているだけ(笑)。

日本にはそういうほほえみの習慣がないのは、これは武家社会だったせいだと思います。

けれども武家社会になる前の平安のころは、おおらかな時代でございまして、たとえば男の方が夜這いをするだけではなくて、女性からも夜這いをしかけても当たり前の時代だったわけです。

セックスと道徳というのが別なところにあったので、それは非常に健全な状態だと思うんです。

そこに精神的なものをくっつけてしまうとややこしいことになるのです。

つまりセックスというのはあくまでも生理現象として切り離していたのが平安時代だと思います。

そこへ、儒教などが入ってきまして「男女七歳にして席を同じうせず」などということが言われるようになってきますと、性を戒律でしばって厳しく戒めるようになってしまった。

そのためセックスは不道徳とか忌まわしいものにすり変えられ、非常に不健全で陰湿なものになってしまったわけです。

私はこの世の中の人がもっとおおらかに、ポーンと大空のように、こだわりなく生きていくのが当たり前だと思うのです。

平安時代のそのころは世の中も内乱のようなものが多い状態でしたから、大変な時代だったでしょう。

けれども人間は、今よりももっとおおらかでほほえんでいたのではないかと思います。

また、口はばったいようですが、私は現代女形の創始者ということになっておりまして、三島由紀夫さんとか寺山修司さんと一緒にそういうものをはじめたわけでございますが、俳優座の演出家の増美さんという方が私を評して、「あれは現代の出雲の阿国だよ」というふうにおっしゃったそうでございます。

じつは私もそれを意識していたところがあって、ズバッと言われてドキッとしたことがあるんです。

出雲の阿国というのは、念仏踊からはじまって、歌舞伎の創始者みたいになった女性ですね。

ひと頃、アングラなどでは、客席から役者を出したりして、それが新しい演出法だなどと言っておりましたが、それはとんでもない話です。

歌舞伎のはじまりとわれる出雲の阿国の芝居というのは、幽霊などを客席から出して、お客さんが逃げまどったということなんかも文献に描いてあるんです。

そういうふうに、現代の世の中で新しいと言われていることも、出雲の阿国はもうやっています。

彼女は現代よりももっと豪放磊落な、すべてにとらわれない念仏踊りというものをはじめました。

そして、お芝居というものを1つの手段にして、人々にほほえみを分け与えたんですね。

私はこの世の中を上手に生きるには、ほほえみ以外にはないと思っております。

しかし、ほほえみというのは生活に余裕がないと生まれてこないものなんですね。

余裕といっても別に金銭的に困らないということではなくて、精神状態に余裕があるということでございます。

とにかく生活に窮々としていて、お金がなくて家賃が払えない、ではパートでもしなければいけないというような現実問題の中で、精神的に余裕を持ってほほえまなければいけない。



(美輪明宏 著 / ほほえみの首飾り より)
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