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2010'08.13 (Fri)

心の奥底の本当の叫び

苦労をし過ぎた人の中には、認知症に成る人が多いです。

これは神の恩寵かも知れません。

最後の時期を、苦しかった過去の思い出の磁気から離れてもらう為に。

そして。。。死後に正気に戻ります。

死語49日間に、今世を振り返ります。

今でも、この母親の内在神は全てを観ています。

-----

テレビでアルツハイマーの母親を介護する娘のドキュメンタリーがありました。

気丈で頑張りやだった母親が徐々に呆けていきます。

感情を抑えきれずにわがままになっていきます。

わがままな人に八つ当たりされるというのは辛い仕事です。

しかしその娘は、半身不随の父親とともに母親の介護も行っていました。

どんどん物忘れが激しく、そして子供のようになっていく母。

しかし驚いたことにその母親が手紙を書くとそこには正気だった母がいました。

その手紙は献身的に介護をする娘に対する感謝の言葉で埋まっていました。

通常の会話ではそんなことは言いません。

ただわがままな幼児のように娘に八つ当たりするだけです。

自分が手紙を書いたことも、次の瞬間には忘れてしまうのです。

父が亡くなり、その後も何年も娘は母親の介護を続けました。

呆けはどんどん進行し、自分は退行していくので、娘を実の姉と思っています。

しかし手紙には、やはり感謝の言葉で埋まっています。

呆けはどんどん進行しても、死ぬ直前まで手紙には感謝が書かれていました。

「あなたのおかげです。どうもありがとう。」

このドキュメンタリーを見て、私はどんな人も心の奥底では正気なんだと知りました。

表面ではどんなにわがままにになって、物忘れがひどくなっても、退行していっても、奥底の心は正気のままなのです。うむ~。

私たちの心は内在神と繋がっています。

表面的な脳の反応は退行していっているかもしれませんが、心の奥底は内在神と繋がっているのです。

肉体を持って生きてる限りは。

だから今回の症例は文字を書くという、正気に近い脳のルートを使う表現では、その内在神から感応する感謝の言葉がほとばしるのです。

この番組は、表面はどうであっても、私たちの心の奥底は正気であるということを証明しました。

さて、私たちの日常でも、???とはてなが幾つもつくようなわがままな人がいます。

他人に対する思いやりを全く持っていないような傲慢な人がたくさんいます。

当然私たちはそういう人に腹をたてます。

日常生活の大半の時間はそういう人たちとの争いにエネルギーを割かれています。

実際、口論していなくても私たちの心の中のでは漏電しています。

しかし、彼らとて、このアルツハイマーの母親と同じなのではないでしょうか。

過去のトラウマによるものかもしれませんし、神経ホルモンのせいかもしれません。

そのために動物的反応をして周囲の人を傷つけているのだと思います。

その人の中にも内在神がいて、そして心の奥底ではその内在神と繋がっています。

もしそのトラウマやホルモンのアンバランスを回避して、心の奥底の感情を表にだすことが出来たとしたら、私たちに対する感謝と謝意の気持ちが溢れだすかもしれないのです。

今この口角泡吹いて敵意丸出しにしているこの彼は、同時に、内在神と繋がっている心の奥底では、私たちに感謝と謝意に溢れているかもしれないのです。

私たちは表面の相手の行動しか目に入りません。

相手の言った言葉と、私たちに対して行った行動しか認識できません。

でも彼らの心の奥底の声も感じ取れたらいいなと思います。

心の奥底の声を聞きたいです。

どうやったら聞こえるようになるのかな~。

いろんな事を気づかせていただいてありがとうございます。

生かして頂いてありがとうございます

★★★★★★★★


以上は、ショック行灯さんのブログ「ショック療法」から転載させていただきました。

素晴しいお話だと想います。


私には、かなり症状のすすんだ認知症の祖母がおります。

施設で診てもらっているのですが、もういつも夢の中にいるような状態で、うなったりしていて、私のこともわかっているのかわからっていないのか、というような感じです。

それでも、手をとって、頭をやさしくなでて話しかけると、見えているのかわからない目で私をみつめて、「そうだなあ」と返事をしてくれるし、歌を歌ってくれます。

いろいろなことは忘れてても、歌はしっかり覚えているんだなあ、って想います。

祖母は、認知症になる前はたいへん教養があり、祖父の経営する会社の役員も務め、地元の商工会の女性会長まで務め、引退したあとは料理や、趣味の押し絵や俳句を創ったり、庭の手入れをしたり、拾ってきた猫の世話をしたり。

読書や歴史の研究もしたり。

近所の交番のお巡りさんや、いろんな業者の方へもよく「あがってお茶っこでも飲んでいけ」と声をかけて、家にはよく祖母が呼んだいろいろな客人がいたものです。

昭和一桁生まれなので、戦争も経験し、弟をおぶって疎開したり、苦労もしてきた。

でも、精一杯人生を謳歌した人だと想います。

私にとって、たいへん大きく、強く、優しい祖母です。

それがいつからかおこりっぽくなり、認知症になってしまった。

このお話のように、きっと心の奥深くでは、すべてわかっている。

そう想っています。

今は静かに生きています。

きっと、祖父のために生きているのだと想う。

大正生まれの祖父は、足腰は弱って杖をついているけど、頭はしっかりしている。

毎日、祖母の施設へ通っています。

何するわけでもない。

ただ一緒にいるだけです。

それでも、夫婦が一緒にいる。

それだけなんですが、きっと、それだけでいい。

それが、愛なんだと想います。
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